朝と夕方に少し雨が降った。
久しぶりの雨でほっと一息。
午後、公民館への往復は娘が帰っていたので乗せてもらう。
歩くのはまだ危ない。
* * * * * * * *
私のお祖母ちゃん つづき
私は高校生。明日期末試験があるという日は泥縄で夜中まで勉強をするような子だった。
よしのさんはそんな孫娘が心配。
家族が寝静まっている中、勉強をしている部屋のふすまをがさごそ開ける音がしてよしのさんが入って来た。
「まだ勉強せなあかんのかいな」と心配げな顔。
そして私の背中をさすって肩を揉んでくれるのだった。
孫が祖母の肩を揉むのは当たり前だけど、反対や。
「手打ちかけが凝ってるがな」と肩甲骨のあたりを節だらけの手で揉んでくれる。
若い頃は肩を揉んでもらうのは好きでは無い。
よしのさんが夜中に入ってくるのを止めさせて~ 氣が散って勉強の邪魔や・・・と母に文句をいった私。
何と生意気だったのだろう。
自分が高齢になってよしのさんが理解できるようになってそう思う。
よしのさんの持ち物は黒い箪笥が一竿だけ。
その中は綺麗に整理されていて、私が新学期に学校に持っていく雑巾が要るので「お祖母さん縫って~」と頼むと「よっしゃ」と一番下の引き出しから使い古した布を出してきて縫ってくれる。次の朝には3枚出来ていた。
よしのさんの主な仕事は縫い物。
大きな針山に縫い針が50本挿してある。
私は寝る前に、全部の針に50センチぐらいの糸を通してコブも作っておくお手伝いをした。
よしのさんは最後に針の数を数えさす。1本でも足りなかったら大騒ぎで探した。
「誰ぞの足に突き刺さったら大ごとや~」と騒いだ。
以外ときっちりした性格。
母にはよく叱られていた。
叱られる原因は何か知らないけれど、言い返して激昂して「ほんならわては他所へゆきます!」と言って家出をした・・・(ー ー;)
お祖母さんどこへ行きはるのやろ・・・と子供達は思ったが、母は心配していなかった。
行先を知っているからである。
家出して、父の会社に地方から出てきた丁稚さんの寮があって、そこで泊まっているのを両親は知っていたのだ。
何日か経ってほとぼりが冷めた頃、肩に大きな風呂敷に包んだ沢山の茄子を担いで、帰ってきた。
バサッと上がりがまちに降ろして「**さんでもろたんや」とお土産付きで帰って来たのだった。
言い訳は何も言わず、そのまま元の生活に戻る。
いつものパターン。
母はどこへ行ってたかとも聞かず知らん顔。
生涯自分の財産を持た無かったし、収入も無く、持っている物も箪笥一本に収まる。
娘夫婦に頼り切って平安に過ごし、幸せな晩年ではなかっただろうか。
それに引き換え私は沢山の物を持ち過ぎている。
よしのさんが羨ましくなる。
おわり