a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

安らぎのある生活 (8)

公民館でコーラスの練習。

来月の公民館まつりに出演の予定があるので、ハードな練習3時間。

 

くたくた。

今夜は聖書の勉強をする。

 

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安らぎのある生活 (8)

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより。

アブラハムから学ぶ「平安な老年」

聖書 創世記25:8

 アブラハムは平安な老年を迎え、

 長寿を全うして息絶えて死に、

 自分の民に加えられた。

 

1、平安な老年を迎え

①平安の反対語は不安だが「平安な老年」という時、それは不安な事柄が解決しているということである。

アブラハムにとって気がかりだった最後のことは、老いてから生まれた息子イサクの嫁選びであった。

これが前章24章で無事に解決して安堵の思いがあった。

②私たちの場合、老いて気になる未解決の事が無いかと言うと、そうでは無い。

あれも、これも、かもしれない。

不安な事を誰が解決するかと考える時、次の聖書が慰めではないだろうか。

 主は私にかかわるすべてのことを、

 成し遂げてくださいます。

 主よ。

 あなたの恵はとこしえにあります。

 あなたの御手のわざを捨てないでください。   詩篇138:8

 

2、長寿を全うして

アブラハムは175歳という長寿を生きた。創世記25:7

信仰者は全て長生きするのだろうか?

「長寿を全うする」とはどんな意味か?ヒントになる聖書がある。

 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。

 私は悪の天幕に住むよりは

 むしろ神の宮の天幕に住みたいのです。  詩篇84:10

※神を礼拝し神と共に生きる人生の全うこそ長寿に等しい生き方である。

 

3、息絶えて死に、自分の民に加えられた

「息絶えて死ぬ」のは信仰者であれ、そうでない人であれ皆迎える現実である。

しかしそのあとが違う。

「自分の民に加えられる」ところに行けるかどうか。

アブラハムは天の故郷に帰ったのである。

これこそ最高の平安である。

 これらの人々は皆、信仰の人々として死にました。

 ・・・・・・

 はるかにそれを見て喜び迎え、

 地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです。13

 彼らはこのように言うことによって、

 自分の故郷を求めていることを示しています。14

 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。15 

 しかし、彼らは、さらにすぐれた故郷、

 すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

 それゆえ、神は彼らの神と呼ばれる事を恥となさいませんでした。

 事実、神は彼らのために都を用意しておられました。16  ヘブル11:13−16