お天気が良いけれど寒い日曜日の朝。
礼拝の前に聖歌隊の練習に出る。新聖歌330「幸い薄く見ゆる日に」。
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礼拝メッセージより
「こんな恵みに変わるとは!」
聖書 ルカ23:26
彼らはイエスを引いて行く途中、
田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえ、
この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた。
重荷を負う生活が恵みに変わるとは。
1、人生に偶然は無い。
北アフリカの小さな町クレネ。シモンという男は1600キロ離れたエルサレムに遥々商用か巡礼かで来た。
その日は偶々過越の祭の日で、裁判が行われて死刑が執行された日だった。
一人の人物が十字架を背負ってよろけながら歩むのを見ていたが、その人物が目の前でばったり倒れた。
兵士は偶々そこにいたシモンに重い十字架を担がせた。
ゴルゴタへの道は800メートル。
偶々居たこの場所、この時に。
2、負わされた十字架、後で意味がわかる。
命令は嫌なこと(重い死刑の道具を背負う)だった。
「えらい時にえらい場所でえらい事に出くわしたな~」
このシモン、のちに子の名が聖書に見つかる。
アレキサンデルとルポとの父で、シモンというクレネ人が・・・マルコ15:21
イエスに変わって嫌々担いだ。頂上に着くとイエスはその十字架に釘で打たれた。
シモンは十字架の下でイエスの最後の言葉を聞き心を捉えられた。
「父よ。彼らをお許しください。
彼らは何をしているのか、自分でわからないのです。」
隣の罪人に言われた言葉「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」・・・。
神の御子の十字架を背負ったことの栄誉、恵みを知る。
イエスは言われた。
わたしがしていることは、
今はあなたにはわからないが、
あとでわかるようになります。 ヨハネ13:7
今、背負っている重荷の意味を悩むことはない。
3、十字架を負うとは
一般には、障害、病などの苦難を重荷というが、その重荷はキリストが負って下さる。
しかし十字架は負わねばならない、信仰と使命を持って負うものである。
イエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。 マタイ16:24
十字架は神から与えられたと思って負うものなのである。