a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

こんな恵みに変わるとは!

お天気が良いけれど寒い日曜日の朝。

礼拝の前に聖歌隊の練習に出る。新聖歌330「幸い薄く見ゆる日に」。

 

   *  *  *  *  *  *

 

礼拝メッセージより

 

「こんな恵みに変わるとは!」

聖書 ルカ23:26

 彼らはイエスを引いて行く途中、

 田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえ、

 この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた。

 

重荷を負う生活が恵みに変わるとは。

1、人生に偶然は無い。

北アフリカの小さな町クレネ。シモンという男は1600キロ離れたエルサレムに遥々商用か巡礼かで来た。

その日は偶々過越の祭の日で、裁判が行われて死刑が執行された日だった。

一人の人物が十字架を背負ってよろけながら歩むのを見ていたが、その人物が目の前でばったり倒れた。

兵士は偶々そこにいたシモンに重い十字架を担がせた。

ゴルゴタへの道は800メートル。

偶々居たこの場所、この時に。

 

2、負わされた十字架、後で意味がわかる。

命令は嫌なこと(重い死刑の道具を背負う)だった。

「えらい時にえらい場所でえらい事に出くわしたな~」

このシモン、のちに子の名が聖書に見つかる。

 アレキサンデルとルポとの父で、シモンというクレネ人が・・・マルコ15:21

エスに変わって嫌々担いだ。頂上に着くとイエスはその十字架に釘で打たれた。

シモンは十字架の下でイエスの最後の言葉を聞き心を捉えられた。

 「父よ。彼らをお許しください。

  彼らは何をしているのか、自分でわからないのです。」

隣の罪人に言われた言葉「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」・・・。

神の御子の十字架を背負ったことの栄誉、恵みを知る。

 イエスは言われた。

 わたしがしていることは、

 今はあなたにはわからないが、

 あとでわかるようになります。 ヨハネ13:7

今、背負っている重荷の意味を悩むことはない。

 

3、十字架を負うとは

一般には、障害、病などの苦難を重荷というが、その重荷はキリストが負って下さる。

しかし十字架は負わねばならない、信仰と使命を持って負うものである。

 イエスは弟子たちに言われた。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、

 自分を捨て、自分の十字架を負い、

 そしてわたしについて来なさい。 マタイ16:24

十字架は神から与えられたと思って負うものなのである。