私たちは今から約70年も前(1949年)に、ここ「天橋立」へ学校の夏の行事「臨海学校」でやって来た。
中学校の1年生だった。
全校生徒が参加したかどうかも忘れたが、少なくとも昨日行った15人の殆どは「懐かしい」を連発していた。
泊まった宿が壊されず面影を残していた。
手前の橋は回旋橋でそのたもとの旅館に投宿したのだ。
若かった先生の数人がこの欄干から飛び込んだ。生徒たちは歓声をあげて喜んだ。
今だったら、先生はそんな危険なことは決してしないだろう。
終戦後は本当に全てが自由だった。
食事の貧しさを除いては。
食事はどんなものを食べたかも忘れたが、お米は各自5合づつ袋に入れて下げていった。お魚は食べさせてもらったのだろう。
昨日のように2時間半で着くわけもなく、蒸気機関車で暑い中長時間かかって往ったものと思われる。私は忘れたが覚えている子もいて。
昨日の私たちは隣の料理旅館「千歳」で昼の食事を頂いた。
ここは料理もさることながら、サービスが良くて気持ちが良かった。
高齢になると、サービスの技術の良さ品の良さ・・・なんかも大事にしたいし、敏感なのである。
食後は海水浴をした砂浜へ。
松林を通って砂浜へ行く。
誰かが「今日は海水パンツを忘れたから泳がれへん」と言った。
松の香りまで懐かしく、水着を着て素足で歓声を上げて走る子供だった私たちの姿が目に浮かんでくるようだった。
この松林は日本三景の一つ「天橋立」と言われる海の中の道にずっと生えている。
子供の時はこの道を向こう岸まで歩いた。
夏休みの終わった今日は海水浴客もなく静かだった。
男性たちは、遠泳で2キロ泳げた。と威張っていたが、私は300メートルコースを必死に泳いで合格したのを思い出す。
何泊したのか忘れたが、家に両親宛にハガキを書いた覚えがあるから1週間位滞在したのだろうか。
口々に思い出を語りながら歩む。
最後に「天橋立ビューランド」にリフトに乗って上がった。
モノレールも有ったが全員リフトを希望した。(年齢制限は無いというから)
風に吹かれて登っていく心ち良さ。
前日までの蒸し暑さは消えて、時々射す秋の日差しを楽しみながら、82才と83才のおじいさんおばあさんグループは絶景を心ゆくまで楽しんだ。
「股覗き」を試した人もいて驚く。
ふらついて転げ落ちるかも知れへんのに。
誰一人、時間に遅れたり又迷子にもならず、予定通りの時間に大阪へ到着した。
今日のツアーの成功を喜んだ幹事さんは「来年は2年生の時に行った香川県の津田に日帰りで行きます。来年まで足腰をもっと鍛えておくように」と言った。