今日から11月。
令和元年も残り2ヶ月。
この元年というのは良い。
数字に弱い私は2年3年と過ぎていくとえっ〜と何年?となる。
西暦はすぐに出てくるのだけど。
今日はカレンダーを捲って、床の間の軸を秋の風景画に変えた。(何と舟遊びの軸をこの3ヶ月掛けたままだった)
母が聞いたら嘆くだろう。
粗末な床の間だけど一応掛け軸をかけると様になる空間。
一通り行儀作法は昔の女性として身につけていた積りだけれど、軸の正式な巻き方紐の掛け方を教えてくれたのは夫の叔母である。
義叔母は厳しい女性で、何も知らない私は叱られっぱなしだった。
「小笠原流」の作法で軸のかけ方仕舞い方を伝授してくれた。
お道具の箱の紐の結び方は難しい。
驚くことに、この結び方は亡き夫に教わった。
娘の頃、お茶のお稽古で道具の使い方を教えてもらっても片付け方まで習わなかった。
意外な夫の物知りに驚いたのだった。
彼は大学では茶道部に居たのである。
口うるさく注意されるのは鬱陶しい。
でもそれらのことは頭にこびり付いて生涯失うことの無い知識となる。
9才年上の兄も口うるさい男だった。
沢庵の切り方。
魚の盛り付け方。
「海腹川背言うてな、海で捕れる魚はお腹を手前に置く、川魚(鮎とか)は背中をこっち向けて置くねんで」と自分が仕入れてきた知識を教えてくれた。
鬱陶しい・・・と思ったものやけど、今でも魚を盛り付ける時「うみばらかわせ」と頭の中で兄の声が聞こえるのだ。
兄が出たついでに。
幸田文は露伴に厳しくしつけられた人で彼女の随筆は露伴のしつけの内容に詳しい。
兄が如何に幸田文に入れ込んでいたか・・・長女に「文」と名前をつけたことでわかる。
遠い遠い昔のことを思い出しつつ床の間の柱の乾拭きもやった今日の私。
南天の実。
うちの南天は何故不揃いに実をつけるのだろう。