a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

聖書の植物(15)ー「茨の冠」

誕生日が過ぎれば、師走は後半に突入し俄然せわしなくなる。

でも我が家はいつもと同じ、静かにクリスマスを迎えるだけだ。

年賀状は最少限度にする。多分元旦に来るのも減るだろうし・・・(⌒-⌒; )

植木屋が来て散髪をした庭木はすっきりして、蜘蛛の巣も取り除かれて、道路に面した側溝も綺麗に掃除してくれていた。

 

午前中はいつものように家の掃除をした。

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エル・グレコ キリスト磔刑

 

聖書の植物(15)ー「茨の冠」

 

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集い 中西牧師メッセージ

 

イスラエルの荒れ野に育つ茨の木はとげが長く硬いので、今でも侵入防止の柵にからめたり、羊を守る石垣の上に置いて猛獣の侵入を防ぐのに使用されている。

その茨で冠を編みキリストの頭に被せたのが「茨の冠」である。

 

聖書 マタイ27:27-31

 

1、茨の冠は人間の罪を示す

本来冠は王がかぶるものであり、王の王であり真理の王であるキリストが王冠を被るのは当然のことであったが、ローマ兵士は茨で冠を編み、頭に被らせ、右手に葦を持たせ、からかって言った。

ユダヤの王様万歳」マタイ27:29

王位と威厳の象徴である冠を嘲りと恥辱の冠に変えたのであった。

ここに人間が救い主を否定する罪の姿が示されている。

この真理を嘲り否定する姿は、積極的に又、消極的に形を変え今も同じことが行われている。

 

2、茨の冠は人間の呪いをキリストが受けられたことを示す

アダムとエバが罪を犯して以来、悪と呪いが世界にもたらされた。

 土地はあなたのゆえに呪われてしまった。

 あなたは一生苦しんで職を得なければならない。

 土地はあなたのためにいばらとアザミを生えさせ、

 あなたは野の草を食べなければならない。創世記3-17-8

 

ローマ兵士は、知らずに呪いの対象を冠に編み、その呪いから私たちを開放してくださるお方に被せたのである。

 キリストは私たちのために呪われた者となって、

 私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。

 なぜなら「木にかけられる者はすべて呪われる」と書いてあるからです。

 ガラテヤ3:13

キリストは完全な贖いのための生贄として罪ののろいから私たちを贖い出してくださったのだ。

いばらは呪いの象徴であり、あざけりのための物だったが、

一方いばらの冠は、事実キリストがどういうお方で、何を達成するために来られたかを象徴する物であった。

 

3、いばらの冠は私たちの痛みを担うキリストを示す

茨の長く太い棘はキリストの額に食い込み血が流れる。

この象徴的な痛みは人類の救い主が不当な苦しみに喘ぐ人々や、病気に苦しむ人々の理解者である慰め主であることを示している。

 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、

 ご自身の使いが彼らを救った。

 その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、

 昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。 イザヤ63:9