一昨日は眼科で視野検査を受け、昨日は脳神経外科で、大きな器械に潜り込んで縛り付けられて脳の写真を撮ってもらって、さすがにくたびれた。
今日は同窓会コーラスを休む。
脳みそはもう少し使えそうなので、しゃかり気に急いで断捨離をするのを止めて、優雅にゆったりと楽しみながら整理をすることにしようと思う。
目が悪い癖に読書が好きな私は、寝る前に2時間ほど何か読む。
毎週図書館で2冊借りてきて枕辺に置いてある。
今日、読み終わったのは「幸田文 きもの帖」。
娘である随筆家の青木玉がお母様の随筆の中から、着物についてまとめた本である。
幸田文は1904年(明治37年)生まれ。
随分昔の人だ。
きものに関する言葉や内容はもう現代では理解されないことばかりで、辛うじて私の世代までかなとも思う。
日本の伝統衣服の着物については奥が深く面白く読んだ。
最後の随筆が「姿見」について。
鏡台との関わりの文章であった。
先月、私は古い姿見を処分したばかりである。
いつもクローゼットの隅に置いてあって、和服を着るときに重宝した。
寝室の鏡に向かって着るのだが、後ろに姿見を置く。
帯を結ぶのに後ろ姿が見えるので便利だった。
10年ほど前から和服を着ることが無くなったので、出番は無くなっていて、クローゼットでも邪魔者扱いをしたのでガタついてきた。
桑の木で出来た戦前からの骨董品である。
長方形で鏡の面には、友禅の端切れで裏地をつけて縫ったもの(頼まれて私が)をいつも掛けていた。
この姿見は夫の叔母の物であった。
義叔母が幸田文と同じ年生まれであることに気がついた。
義叔母は生涯独身で過ごし、昔のことで、しかも名古屋の人だったから嫁入り道具として沢山のきものを用意したのだろう。
79歳で亡くなった後、蔵の整理をしたら、箪笥7棹にぎっしり着物や帯が入っているのを発見した。
住んでいた大阪の家は戦災に合わず、古い物は全て残った。
箪笥の中には、勿論お祖母様のものや男物も入っていたけれど、手を通してないしつけのかかった物もあって沢山の和服が眠っていたのだった。
私がこれらの処分をどうしたか、については書くと長くなってくたびれるので、またの機会にするが、生涯着物で通したのは幸田文と同じで、姿見がその着物との日々を映していたのかと思うと、処分してしまって良かったのかな?と思ったりもする。
残された人があれこれ悩まないためにも整理して処分しておくことは大事だと思う。