一昨日の礼拝の説教は「母を思いやるキリスト」。
キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられた時、そばにはキリストの母マリヤと数人の女性と弟子ヨハネが居た。
他の弟子たちは恐ろしさのあまり逃げてしまったのである。
何が不孝と言って親より先に死ぬことだろう。
キリストは両手を十字架に釘打たれ、激痛の中で声を振り絞って悲しみに打ちひしがれている母マリヤに声をかけられた。
「女の方。そこに、あなたの息子がいます」といわれた。
それからその弟子に
「そこに、あなたの母がいます」といわれた。
キリストの十字架は、午前9時から午後3時までの6時間に及ぶ長時間だった。
その間に7つの言葉を語られた。
その中の2番目の言葉がこれである。
弟子ヨハネに母を託したのであった。
キリストの弟子達はその後殉教の死を遂げているが、ヨハネだけは長生きを許された。
彼は「福音書」を始め「ヨハネの手紙」「黙示録」を書き残し、マリヤを最後まで世話をした。
キリストは彼が長生きだとご存知で母を託されたと思える。
母を思いやる親孝行のキリスト。
ここで、突然母を託されたヨハネはどんな思いだったのか。
自分を産んで育ててくれた親でもないのに、老後の世話をしなくてはならない。
こんな事情の人は多くいるだろう。
「何で私が見なあかんの?」と理不尽な思いをすることもあるだろう。
長男に嫁いだからから仕方なく老親を見なくてはならない人もあるだろう。
私は40代の頃、夫の叔母の世話をした。
彼女は生涯独身で、全てにこだわりがあって難しい生き方をしていた。
優しさのかけらもなくきつい物言いしか出来ない人だった。
甥である私の夫はいつも逃げていた。
だから余計私が叱られた。
私は「何で私だけがこの人の世話をせんとあかんの?」とか「どこかへ逃げていきたい」とも不満を抱いて年月を過ごした。
ヨセフとマリアとキリストは3人で「聖家族」と言われる。
ヨハネはその聖家族の一員となる特権をキリストに命じられた。
大きな喜びであり、感謝したのだろう。
「もっと、優しい心でお世話したら良かったのに」。
40年前の自分を恥じている。
ウィキペディアより