a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

映画好き

 

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ガクアジサイはピンクに変化した。

急に暑くなった。

いよいよ苦手な季節の到来だ・・・^^;

 

友達Kさんに「映画をよく見てますね」と言われた。

そう。

私は映画好き。

何の予定もない日々。

ネットで見られる映画を、テレビの画面で午後と夜に見ている。

子供のころから本を読むのも好きだったけれど、映画が大好きだった。

今のように物資が十分無かったけれど、映画は夢の世界を見せてくれたのだった。

 

一番最初に洋画を見たのは、終戦後しばらく経った小学校の6年生の頃。

C子姉ちゃんのお婿さんに、中之島の「朝日会館」へ「シベリヤ物語」を観に連れてもらった。

義兄は南方から幸運にも復員して来た人だった。

 

映画はカラーでピアニストが白い鍵盤を縦横無尽に指を滑らせて音楽を奏でていた。

初めて見た遠い異国の映像だった。

妹も一緒で、中之島公園で写真を撮ってもらっている。

 

中学校に入ってからは、学校から映画を観に行った。

ようやく焼け野原から映画館が復興出来たのだろう。

難波の道頓堀の芝居小屋(五座)の並んでいた辺りの映画館。

ディズニーの「白雪姫」だったか「バンビ」だったかを見た。

 

この頃はハリウッド映画や外国映画が沢山入ってきた。

ただ、映画館が少なかったからか、いつも超満員で「嵐が丘」を見たときは、扉は閉められないほどの入場者で、私は大人の人の隙間から覗いてスクリーンを観た。

混みようは満員電車並み。

殆ど見えなかった悲しい思い出。

だから今何度も繰り返し「嵐が丘」を見るがその度に満員の映画館を思い出す。

 

高校生になると学校で映画の割引券をもらえた。

文部省で外国映画を奨励していたのかも知れない。

土曜日に市電に乗って3つほどの所に心斎橋筋があったから、友達と行った。

以前ほどの混雑は無かったけれど、それでもいつも立ち見。

水色のセーラー服の同級生が沢山立って観ていた。

まだテレビは無かったから、娯楽は映画だけで、しかも戦災で全部焼けて建てたから足らなかったのだろう。

皆、娯楽に飢えていたのだ。

良く行ったのは松竹座、スバル座。

新聞で情報を得て四ツ橋文楽座で見たこともあった。

 

私の姉妹は映画好き。

H子姉ちゃんとは、文芸作品を沢山見た。

「ジェンエア」「レベッカ

イタリヤ映画は「自転車泥棒」「苦い米」

フランス映画の「天井桟敷の人々」「赤と黒」等々。

 

そのころ、3本立てというのもあって良く行った。

見たのは毎日会館。

パンを買って入りイギリス映画3本を続けて見た。

流石に内容が3本ごちゃ混ぜになって全く覚えていない。

つづく