暑い夏の日、海から上がって井戸水を頭からかけられて冷たさにキャーキャー言いながら部屋へ戻る。
洋服に着替えてホッとした時、少し気だるいけど良い気持ち。
海から上がった時のこの気だるさが懐かしい。
今更何をしたいという欲望は無くなったけれど、青い空を見ながら海で泳ぐ快感はもう一度味わいたいなと思う。
辛い戦争が済んだ後のとびっきり楽しい思い出。
終戦の次の夏、私は4年生だった。
まだ食料難は解決せぬまま、子供たちは飢えていた。
父は子供6人を淡路島に連れて行って滞在させた。
現在は明石大橋が淡路島と兵庫県を繋いでいるけれど、その頃は明石から出る連絡船で江井という漁村へ向かった。
江井では知り合いの2階を借りて自炊生活をした。
C子姉ちゃんは22歳。j兄ちゃんは18歳。2人とも子供の頃(まだ日本が平和だった)浜寺の水練学校に通っていたから泳ぎは得意だった。
ここでは知り合いの農家でお米を買えたのだと思う。
野菜も、卵も、時にはお肉も。
お魚は漁港だったから幾らでも買えた。
午前中に夏休みの宿題や日記を書いてから海水浴。
通りを一つ越えたら海辺だった。
美しい浜でだった。
まだ海水浴などと気楽なことをする時代ではなく、遊んでいるのは私たち兄妹だけだった。
遠浅だったから初期の水泳練習には最適で、C子姉ちゃんに教えて貰ってカエル泳ぎをマスターした。
午後ももう一度昼寝の後に泳いだ。
時にはお船を借りて兄ちゃんが漕いで沖まで遊びに行った事もある。
母は出不精な人だから一度も覗きに来ず、父は送り迎えだけで、お商売が忙しく買ったお米を下げて帰って行った。
C子姉ちゃんがボスで姉妹はボスの指令をよく守って楽しい生活を満喫した。
私たちは沢山食べて日焼けをして真っ黒になって大阪へ帰ったのだった。
これは次の年の夏休みも行った。
この年にはちょっとした事件が起こった。
次女のM子姉ちゃんがボスに逆らって大喧嘩が始まった。
「私、もう大阪へ帰るわ!」ヒステリックに叫んで、本当に帰って行った。
残った妹3人はM子姉ちゃんが無事に大阪へ帰ったか心配で心配で・・・・
この時M子姉ちゃんは女学校5年生になっていたからどうってことは無かったのだけど。
「大阪へ帰ったら美味しいお魚食べられへんのに」とも思った。