ホトトギスが咲いた。
昨日の続き。
お見合いの相手は50年一緒に暮らして来た夫である。
結婚して共に人生の大波小波を乗り越えて来た同志となった。
男性の方のお見合い写真はいわゆる「スナップ写真」で良かったから、どこかの庭に立っている比較的よく写っている写真だった。
頭からこんな人嫌や・・・と思わず会って見ても良いかな、と思った。
大学も名門を出ているし、会社の後取りだからお金に困ることは無いだろう・・って世間知らずの箱入り娘だった甘ちゃんな私だった。
妹は姉の見合い相手なのに釣書を見て、
「この人背が高いやんか、格好ええやん」と重要視する条件が私と違った。
因みに妹は私が結婚してから何度も何度も見合いを重ねた。
いづれもお気に召さず断ってばかりしていた。
あの頃の基準で言えば「行き遅れ」になってはと両親は焦っていたが、末娘だからお嫁にやるのは寂しいから妹が「嫌や、断って」というたびに「しゃあないな」と断り続けていたのだった。
所が何回めかにお見合いした相手と意気投合してルンルンで結婚式を挙げた。
彼は特別背が高い男性では無かったのに。
幸せな出会いだったのだ。
脱線したけれど、私の見合い相手は陽気でお喋りな男だった。
私の気を引こうと楽しい場所(歌舞伎とか映画とか寄席や野球場など)へ連れて行き、美味しいものを食べながら面白い話を喋り続けていた。
私は喋るのが苦手で、相手に気を使う性格だったから「この人は気楽でええわ」と思ったのだ。
ただ、彼はしっかりした未婚の妹と、これも生涯独身だった母代わりの叔母と暮らしていた。
母を幼い時に亡くし、父は事情があって別宅に暮らしていた。
叔母という人が 私と字は違うが読み方が同じ名前だったから「名前を変えて欲しい」と仲人を通して言って来た。
猫の仔を貰う訳じゃあるまいし ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
両親は頭に来て、そこまでして嫁入りさせなくても、うちの娘はまだ若いしこのお話は無かったことにして貰います。
と断った。
そうしたら彼は慌てて飛んで来て「絶対にそんなことはさせないから」と頼み込んだ。
父は「ここぞ」とばかりにもう一つ条件を出した。
同居ではなくて別居して暮らせるのなら・・・また考えます。
これは駆け引き。
結果は私と両親が勝ったのだが、これは後々尾を引いた。
結婚したら、年上だった義妹は新しく付け替えて欲しいと申し出のあった「T子」という名前で私を呼んだ。
あの頃は年下でも兄の妻なら「お姉さん」と呼ぶ習わしがあったけど、無視した。
義叔母もそう呼んでくれた m(_ _)m
そう言えば晩年になってから、いつの間にか義妹は「お姉さん」と呼んでくれていたなあ。
それからそれから、色々難儀なことが有りましたわ。