a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

友達と歌舞伎を見て来た

松竹座の綺麗な緞帳。

この暑さなのに和服姿の人もちらほら。

 

今日も暑い!

駅まで車で送ってもらう。

電車は空いていたが座席は無く、何と難波まで立って行った。

20分ほど吊り革にぶら下がって立っていても、どうってことないのが嬉しかった。

久しぶりに電車で難波まで行くだけでも嬉しい。

 

Yさんと松竹座で「七月大歌舞伎」を観た。

右側の桟敷席を取ってもらえたので、楽に見ることが出来た。

外は猛暑なのに、約4時間涼しくて快適な劇場で、幕の内弁当を食べて、おしゃべりをして、歌舞伎を堪能して幸せな時を過ごせた。

 

Yさんが「介添なしでこんなお婆さんがお芝居を見るって余りないよね、私ら大したもんやわ」と変な自慢をしている。

彼女はずっと昔、お姑さんを歌舞伎見物に連れて行った優しいお嫁さんだったから。

芝居の中で、長口説が続くと彼女は船を漕ぎ出し・・・これもなんとも言えない良い気持ちなのだ。

Yさんは何度も骨折をして今は杖が頼り。

朝からお化粧をしておしゃれをして(イヤリングもつけてた)大阪の北から電車とタクシーを乗り継いで道頓堀まで来るのは大仕事なのだ。

友達の分までチケットを手配して、外で待つのは暑いからと郵送してくれて。

まだまだしっかり生きている。

高校一年生の時から70年間(!)変わらない信頼のおける友人である。

 

昼の部を堪能し、大勢が退出した後ゆっくり席を立って松竹座を後にする。

別れ際Yさんが「もう逢われへんかも知れへんね〜」と言った。

そんな寂しいこと言ってはダメ。

「また元気残ってたら観に来ようよ。誘って」

と言ったら、

「分かった、また会おう」

タクシー乗り場で別れる。

また来れるかな?

 

七月大歌舞伎

今年は「関西歌舞伎を愛する会」結成45周年記念の興行だった。

上方歌舞伎成駒屋や松島屋などが演じる上方の伝統的なもので、近松の作品などを演じられていた。

戦後、名優の多くが東京に行ったり映画界に取られて、上方歌舞伎は廃れていった。

歌舞伎見物を楽しむ層が減って(皆生きるのに必死で余裕がなかった)、興行が少なくなっていた。

私も子育てなどで歌舞伎どころではなく気がついたら、寂しい状況になってしまっていたのだ。

それが45年前、「関西歌舞伎を愛する会」の立ち上げに関わった兄がチケットをくれらので、中座で久しぶりに関西歌舞伎を観たのだった。

再び歌舞伎ファンの虫が起きて、暇を見て時々夫と歌舞伎を見る機会が増えたのだった。

昨日の昼の部の出し物は、

 

*小さん金五郎

上方歌舞伎の特徴と思える、アホな若旦那と遊女が出てきてのドタバタ喜劇。

言葉が古い浪花言葉(私らも使わなくなった)で、懐かしく面白い。

BGMには端唄の「春雨」が三味線で弾かれて、これも懐かしい。

元々歌舞伎は学習するようなものではなく、ワハハと笑って楽しむものだった。

大まかな筋立てが分かったらそれで良いのだ。

だから途中で寝ても良いのだ。

中村鴈治郎扇雀、松島屋の片岡孝太郎が達者に演じる。

 

*藤娘

尾上菊之助の舞踊。

長唄「藤娘」

舞台には大きな松の木に藤の木が絡んで美しい藤の花が下がっている。

その中から美しい女性の藤の精が現れる。

幽玄の世界だ。

娘の頃習ったのは、途中で潮来出島の〜調べが入ったが、今はそれに変わって藤音頭が使われている。

Yさんが「あんた懐かしいやろ?」と言った。

おさらい会に無理に見にきて貰った事もあったのだ。

 

菊之助の踊りはそれはそれは見事で、衣装の彩りが何とも言えず美しくて、堪能した。

 

*俄獅子

中村時蔵萬屋一門の舞踊。

歌舞伎の醍醐味は、衣装の見事さにもある。

時蔵が着ていた衣装は北斎の波裏の図柄が目を引いた。

 

*恋女房染分手綱(こいにょうぼそめわけたずな)

 重の井の子別れ 道中双六の段

子供の馬方を演じる 中村梅枝は初舞台。

小さな体で、精一杯の声を張り上げ演じる姿は胸を打たれる。

母を見つけたものの母子と名乗れず、母なる姫様の乳母「重の井」は苦しい立場だ。

母重の井は立派な打ち掛けを着ている。

それに縋る子供が、打ち掛けを引っ張って、裏地の朱赤を際立たせる。

これは歌舞伎の見事な見せ場。

息を飲む。

歌舞伎の醍醐味だわ。

それにしても小さな役者中村梅枝がこの猛暑で病気をせずに千秋楽まで演じ続けられるだろうか。年老いた歌舞伎ファンはそんなことまで心配する。

ずっと昔の先祖から受け継いできた役者のDNA。

真っ直ぐに成長して、花開き活躍する姿を見られないのはちょっと残念。