a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

私は負けてられへん

寒くなって来た。

今週は何の予定もなく、家で書類の整理を頑張った。

 

昨日の続き。

C子姉ちゃんは私より13歳年上で、3年前に98歳で生涯を終えたが、歌が好きだった。

姉の連れ合いが亡くなって暇になったと、再び「第九コンサート」の合唱団に入って来た。アルトのパートは覚えるのが難しいからソプラノに入るわ、とソプラノで楽しそうに歌っていた。

モーツアルトのレクイエムとか多くのミサ曲も楽しそうに歌っていた。

私の姉妹は全部で5人。

C子姉ちゃんの下にたった一人の男子の兄がいて、その下にM子姉ちゃん、H子姉ちゃん、妹Sちゃんと4人姉妹がいたのだ。

向田邦子の「阿修羅のごとく」と同じ。

オルコットの若草物語と同じ。

全員音楽が好きで、ピアノが好きでお稽古に通い出した。

私もピアノを弾きたくて、母に「ピアノのお稽古に行きたい」と頼んだら、

「あんたの手は小さいからピアノは無理や、踊りのお稽古が向いてる」

と無理やり自分の好きな歌舞伎や日本舞踊の世界に引き摺り込んだ。

それはそれで楽しかったけれど、今でもピアノを弾くことが出来ないのが悔しい。

あの時、お稽古に通わせてくれたら、少しは弾ける様になっていたやろうし。

 

その頃、家には古い足踏みオルガンが有って、姉妹が取り合いをして弾いていた。

M子姉ちゃんが音楽の才能を学校の音学の先生に見出されたとかで、「何がなんでも行きたいねん!!ピアノを買うて欲しい」とねだったものだから、家に古いピアノが持ち込まれた。

当時は戦争で何もかも焼けて、ピアノなんか売っていない。

父が知り合いに頼んで焼け跡の蔵に入っていて焼失を免れたピアノを譲って貰って来た。

姉は頑張って音楽学校に入った。

洋室で私たちは勉強していたから、横で毎日ピアノの音がしていた。

他の部屋は、遠縁や知り合いや、焼け出されたり引き上げて来た人が居候をして家は満杯で、他に私たちの部屋はなかった。

算数や国語の勉強中でも、耳から入ってくるピアノ曲は脳に収まった。

だから姉が練習していた曲は全部覚えている。

 

私は習いに行けぬなら自習をしよう・・・と誰も使っていない時に、バイエルや優しい曲を練習した。

耳が殆どの曲を覚えているのだ。

ただ、指が動かないだけ。

母が指摘したように、私は手も体も未熟だった。

 

M子姉ちゃんは94歳。

今でもヘルパーさんが来ない日はピアノを弾いている。

H子姉ちゃんは91歳。

まだコーラスに通って歌っているし、フラダンスも踊っている。毎日ウォーキングもしている。

私も負けてられへん!