a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

同年齢の人々

気温は低いけれど、晴れて気持ちの良い朝。

居眠りする事なく無事に朝食を終わる。

この年齢になると朝食を摂るのも命懸けや。

 

今日は何の予定も無く、自由な1日を過ごせる。

余裕があるのでC・Dでグリークのピアノ曲を聴く。

春になると何故かグリークの曲が聴きたくなる。

夫とノルウェイに旅行したのは夏至の頃だったのだけれど。

 

昨日「コシノヒロコ」さんの88歳米寿の祝賀会の映像を見た。

彼女が産まれたのは私の1ヶ月後。

学年は一緒なのである。

才能と努力でデザイナーとして活躍して来られて、今も元気である。

パーティーの中で長唄の披露をなさった。

年季が入っていてかなり上手い。

そういえば、私も長唄の稽古に通っていたのを思い出す。

結婚して道は閉ざされてしまったけれど、自分に力とやる気が有ったら今でも弾けるのにな〜とちょっと羨ましかった。

 

同じ年に生まれた人は戦後の混乱の時は小学3年生だった。

今朝の新聞(朝日)に、戦後焼け跡で親を亡くし浮浪児として生き抜いて来た人の話が載っている。

「空襲のこと、誰かが伝えないと 地下道の子供達」2

 

大勢の子供達が、家を亡くし、親を失って、食べる物もなく、過酷な生活を過ごして来た。飢えて病気になって死んだ孤児も多い。

私の小学校のクラス会に、戦災孤児だったK君が出席してくれたことがあった。

子供の頃は皆が飢えてガリガリだったけれど、そのあと徐々に食糧不足は改善されて、まあまあ成長したのだけど、K君は小柄な男性になっていた。

愛くるしかった面影は消えていて、彼の半生の苦しさを物語っていたように思う。

 

私たちの世代が亡くなってしまったら、もう経験を語る人はなく、爆撃を受けた人々の子供の暮らしの無惨なことは忘れられるのだろう。

ガザのような悲惨な爆撃をうけたのは、彼らたちだけじゃ無いことを、80年前のことを忘れてはならない。

 

著莪が咲き始めた。