a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

バジルは育つか

お天気の日曜日。

勝手口に鈴蘭が咲き始めた。

 

歩いて教会に着くとどっと汗が噴き出た。

もう夏やわ〜

 

牧師先生がエアコンを調節して下さった。

暑がりの友達Mさんが「この夏乗り越えられるかなあ?今からこの暑さやから」と言った。

礼拝が終わっても暑いところを暑いて帰る気がしない。

お弁当を食べてもお尻が上がらない。

おしゃべりは続く。

 

教会でお土産に「バジル」の苗をもらった。

農業をやっているKさんが「皆さんに」と沢山届けて下さった。

帰ってから早速植える。

虫の餌になりませんように・・・。

ところで花鋏が見つかった。

石蕗の大きな葉の下に落ちてた。

何でこんなところに置いとく?

 

Kさん、見つかりましたよ。

ご心配して頂いてありがとう。

眠くても観る映画

朝早く、猫に「ごは〜ん」と起こされて目が覚めてしまった。

5時半は早すぎる。

お天気も今ひとつ良くなくて、新しい目薬のせいでぼーっとしているし。

アイロンをかける・・・家事だけして、あとは何もせず。

 

今日見た映画

ラーゲリより愛を込めて」2022年

1945年8月の敗戦後、シベリアに抑留された日本兵二宮和也)は、過酷な9年間の強制収容所で、妻や子供に会うことを願いながら、死んでしまう。

過酷な捕虜生活の日々を、希望を持って支え合った仲間が、協力して彼の遺書を家族に届けるという映画。

原作は辺見じゅんのノンフィクション「ラーゲリから来た遺書」。

実話と言うことで、抑留されている夫も、満州から引き上げて苦労しながら待っている妻(北川景子)や子供たちも辛い長い年月である。

 

私が小学校5年生の頃、クラスに戦争は終わったのに、戦地から帰ってこない父親を待っている友達が居た。

シベリアという遠く寒いところに居るって聞いた。

敗戦後、ソ連によって日本人が60万人がシベリアに抑留されて、6万人が死んだという。主人公山本幡男さんもその一人。

ドラマと分かっていても戦争の映画は辛い。

 

 

 

花鋏はどこに行った?

何の予定もない今日のような日は庭掃除。

私の好きなことの一つに挙げられる作業で、始めたらやめられないほど好き。

 

私がまだ30代だった頃。

夫の叔母が奈良県に一人で住んでいた。

彼女は生涯独身だった。

70歳を超えて家事が難儀になり始めたので、私は1週間に一度、電車を乗り継いで堺からお世話をしに通った。

頼まれた買い物をしたり、掃除をしたり、後は主におしゃべりを聞くのが仕事だった。

昔話や近所の噂、親戚の悪口を長々と聞かされて、最後は我が夫(甥)への不満が出て来るのが常だった。

彼女は甥が可愛くて仕方がないのに、我が夫は嫌がって寄り付かなかったのだ。

私は「すみません」と謝る。

何で私が謝らなあかんのん?と心の中で思いながら。

 

この話題になると鬱陶しい。

すかさず「ちょっと庭の掃除をして来ます」と庭に逃げた。

義叔母は綺麗好きだったので、庭はいつも綺麗にしておきたい。

私は植木の剪定やら草抜きが大好き。

綺麗になった庭を眺めて「あんた、上手やね〜」と褒めてくれた。

双方に良かったのだった。

 

義叔母の家の裏は小高くなっていて、柿の木が植えてあった。

その向こうは隣の竹藪で、この季節には筍がうちの敷地にも出て来た。

草刈りは、年に3度近所の人に頼んでいたが、私が通うようになったらそれを断って、私が草刈り鎌で刈る。

義叔母は日当が要らなくなって喜んでいた・・・。

私も日当が欲しかったわ・・・( ´Д`)y━・~~

見晴らしが良くて、空気が良くて、草を刈るのは気持ちが良い。

たまに蛇と出会ったり雉の巣があって驚く事もあったけれど。

 

当時は何事も辛抱!と思って我慢して頑張った。

義叔母は79歳で亡くなってしまったが、その年をとっくに超えてしまった今、あの頃の義叔母よりずっと私は元気だし、庭の手入れを楽しんでいられる。

 

あの頃は、今の私のように公民館でのコーラスや、集会所で体操教室などは無かったし、近隣に仲良くしてくれる友人も居なかったし、50年前は介護保険も無かったし。

孤独なお婆さんだったのだ。

逃げ出さないで、もっと愚痴を聞いてあげたら良かった・・・と今後悔している。

 

さて、今日は雑草も沢山抜いて少し庭がさっぱりしたが、愛用している花鋏をどこかになくした。

もう一度抜いた草の中やら植え込みの中を探したけれど、現在の私の目では見つからない。

鋏にも鈴をつける必要があるわ。

 

 

 

駅前銀行閉店

庭の雑草に埋もれて あやめ咲く。

 

駅前の銀行が無くなって移転するという通知が来た。

最近、銀行の店舗がいつの間にか無くなってしまう。

ATMだけに客が群がって、窓口業務が少なくなった。

私は以前から家のパソコンで銀行業務を済ましているので、無くなっても不便はない。

現金もほとんど使わないし。

ただ、金庫を借りていたので今日解約してきた。

これも人生のゴールに向かっての準備の一つでもある。

相続するに当たって書類を揃えて解約に行くのも面倒だろう。

金塊やダイヤモンドでも入れてあれば喜んで行ってくれるだろうけど。

 

高校の友達IさんはATMが嫌いでハンコをついて窓口で現金を出す。

こうゆうお客は今後どうしたら良いのだろう。

いくらどっさり預金していても迷惑な客なのだろう。

機械操作が苦手な高齢者には、銀行の店舗が無くなるのはショックなことである。

モタモタしていたら詐欺かと心配されるだろうし。

 

このところ忙しくて銀行から帰ったら疲れて、昼ごはんの前に昼寝をしてしまった。

午後は庭の草引きをした。

この仕事が楽しいいのは連休過ぎまで。

あとは虫が出て来て蜂が飛び始めて、私には苦手な季節がやってくる。

昨年も確か虫刺されで、真っ赤に足が腫れて皮膚科のお世話になった。

多忙な一日

集会所への道すがら・・・今年もなにわいばらが満開。

 

昨夜は我が家で泊まったM子さんと朝食を一緒に食べて、私はコーラスグループ「G」の練習に出かけた。

 

昼帰宅して、昼の食事を済ましたM子さんが帰るのを見送る。

盲目のM子さんが無事に帰れるように祈る。

娘は彼女を駅まで車で送って、あとは南海高野線の駅員さんにお願いしたという。

駅員さんは乗り換えの駅に連絡をしてくれた。

乗り換えの駅では、駅員さんが待機して乗り換えの誘導してくれるようだ。

無事に滋賀県草津の自宅に到着したと連絡があった。

 

私は視野が欠けて見え辛いとかごじゃごじゃ文句を言っているが、少しでも見えていることに感謝しなければならない。

 

M子さんには神様から人を感動させる美しい歌声と言う賜物を与えられている。

そして賛美をするためのリハーサルに遠路はるばる練習に来る勇気を素晴らしいと思った。

 

午後、体操教室と歌の会に出た。

夕方雨になった。

ちょっと疲れた一日。

心地よい昼寝

朝から美容院へ。

曇り空で雨が降りそうだ。

昼ごはんを食べたら眠くなって昼寝をする。

 

滋賀県から電車に乗って歌手のM子さんが来た。

彼女は全盲だけど素晴らしい声の持ち主だ。

6月の演奏会の打ち合わせと練習に来られたので、私はベッドで寝ながら聴いた。

気持ちの良い昼寝。

 

 

視野欠損

満開やね〜

 

点眼薬が残り少なくなったのに気づいて、慌てて診察予約を入れて、今日眼科へ行った。

担当医が変わって若い女性の先生。

3ヶ月前の視野検査と、今日の検査と照らし合わせると、確かに右目だけではなく、左目の視野欠落が進んでいる。

最近どうも見え難いな〜と感じていたら、やっぱり悪い方へ進んでいる。

しょうがないわ。

薬を変えてもらうことになった。

薬の効果を見るために1ヶ月使って診察を受けることになった。

新しい薬は怖い。

「先生、私、目薬もアレルギー反応するのが有るのですけど」念を押すしつこい患者。

「はい、ここに記述してありますよ、大丈夫です。」

夜、顔を洗った後、点眼することになった。

今朝までは朝目が覚めて一番に挿していた。忘れたことはない。

 

これ以上悪くならないように食い止めなくてはならない。

視野検査は疲れる。

午後昼寝をした。