何の予定もない今日のような日は庭掃除。
私の好きなことの一つに挙げられる作業で、始めたらやめられないほど好き。
私がまだ30代だった頃。
夫の叔母が奈良県に一人で住んでいた。
彼女は生涯独身だった。
70歳を超えて家事が難儀になり始めたので、私は1週間に一度、電車を乗り継いで堺からお世話をしに通った。
頼まれた買い物をしたり、掃除をしたり、後は主におしゃべりを聞くのが仕事だった。
昔話や近所の噂、親戚の悪口を長々と聞かされて、最後は我が夫(甥)への不満が出て来るのが常だった。
彼女は甥が可愛くて仕方がないのに、我が夫は嫌がって寄り付かなかったのだ。
私は「すみません」と謝る。
何で私が謝らなあかんのん?と心の中で思いながら。
この話題になると鬱陶しい。
すかさず「ちょっと庭の掃除をして来ます」と庭に逃げた。
義叔母は綺麗好きだったので、庭はいつも綺麗にしておきたい。
私は植木の剪定やら草抜きが大好き。
綺麗になった庭を眺めて「あんた、上手やね〜」と褒めてくれた。
双方に良かったのだった。
義叔母の家の裏は小高くなっていて、柿の木が植えてあった。
その向こうは隣の竹藪で、この季節には筍がうちの敷地にも出て来た。
草刈りは、年に3度近所の人に頼んでいたが、私が通うようになったらそれを断って、私が草刈り鎌で刈る。
義叔母は日当が要らなくなって喜んでいた・・・。
私も日当が欲しかったわ・・・( ´Д`)y━・~~
見晴らしが良くて、空気が良くて、草を刈るのは気持ちが良い。
たまに蛇と出会ったり雉の巣があって驚く事もあったけれど。
当時は何事も辛抱!と思って我慢して頑張った。
義叔母は79歳で亡くなってしまったが、その年をとっくに超えてしまった今、あの頃の義叔母よりずっと私は元気だし、庭の手入れを楽しんでいられる。
あの頃は、今の私のように公民館でのコーラスや、集会所で体操教室などは無かったし、近隣に仲良くしてくれる友人も居なかったし、50年前は介護保険も無かったし。
孤独なお婆さんだったのだ。
逃げ出さないで、もっと愚痴を聞いてあげたら良かった・・・と今後悔している。
さて、今日は雑草も沢山抜いて少し庭がさっぱりしたが、愛用している花鋏をどこかになくした。
もう一度抜いた草の中やら植え込みの中を探したけれど、現在の私の目では見つからない。
鋏にも鈴をつける必要があるわ。