今年も咲いたアマリリス。
今朝から雨模様でどんよりしたお天気で、私の体調は悪い。
1時間ほど庭の掃除をしただけ。
幸いコーラスの練習は先生のご都合でお休みなので助かった。
もっとも出かけるとお天気が悪くても元気にはなるのだけど。
アマリリス蕾が2つ。
まだまだ楽しめる。
少し曇り空。
娘が泉南市にある「花咲ファームイングリッシュガーデン」に連れてくれた。
山の中に突然現れたバラばかりの庭園は、濃厚なバラの香りが漂う。
イングリッシュガーデンには欠かせない薔薇のアーチ。
華やかな色合い。
どの花も美しい。
バラの花を十分堪能して満足。
公民館のコーラスの練習にゆく。
良いお天気なので歩いて往復した。
4300歩。
殆どの日は車で娘に送ってもらって、Tさんを誘う。
Tさんは86歳で病気もしているし歩くのは困難なのだ。
そのTさんが電灯を修理しようとテーブルに乗ったのは良いが、落ちて尻餅をついてしまった(๑>◡<๑)
年寄りは冒険は厳禁。
お孫さんを呼んで、やってもらったら良かったのだ。
歳をとると「いらち」になる。
そんな訳でTさんは今日は病院へ検査に行ったので欠席。
私だけのために車で送ってもらうのは勿体無いから歩く。
道草をしながら歩くのでゆっくりだけど、やっぱり公民館へ到着したら汗がしとどに流れた。
初夏なのだ。
9月になったら、3年ぶりに合唱祭が開催されるようで、私達グループも皆の総意で出演を予定しているから、ちょっと頑張って練習をした。
ヨナ書 ピーテル・ラストマン1621年 Jonah and the Whale
ヨナ書は聖書の分類で言えば「小預言書」に属する書で、
「大預言書」のイザヤ書やエレミヤ書のように何十章もある書ではない。
わずか4章の書物であるが、大魚に呑み込まれると言うストーリーの展開の面白さ、また神に従順であるべき預言者が神に不従順を示すと言う誰にもある弱さ、そして人の心根に潜む自己中心的な性質を取り扱う点で、深い書である。
子供讃美歌に取り上げられたりしている。
♪ヨナ、ニネベにいらっしゃ~い
いいえ、いきたくな~い
更に旧約聖書でありながら、外国人への世界大的愛と言う極めて新約聖書的なメッセージを含んでいるユニークな書である。
金剛バプテストキリスト教会婦人集会 牧師 中西正夫
ヨナ書(1) 逃亡者ヨナ
第1章は、預言者ヨナが神から外国の大国アッシリヤの首都ニネベに神の言葉を伝えるという使命を受けたが、従わずに逃亡してしまう場面である。
聖書 ヨナ書1:1-17
1、神から逃亡するヨナ
紀元前8世紀、神の命令を拒否し(なぜなのかは4章で明らかになる)北の国タルシシュに逃亡する。
そこで嵐に会う。3、4
※問題から逃げても、問題に追いかけられる。問題の自然消滅は無いのだ。
しかも周りの人を巻き込むだけである。
今日、もし御声を聞くならば、
あなた方の心を頑なにしてはならない。 ヘブル4:7
2、水夫たちの二つの「恐れ」
嵐に遭遇し水夫たちは恐れた。5
この恐れは自然の脅威を恐れる「恐れ」。
地震、雷、台風、大雨、洪水・・・を恐れる「恐れ」である。
しかしここから次の恐れに行く人は幸い→「主を恐れる」16
※自然界における人間の無力を悟って主を恐れる者は幸いである。
主を恐れることは知恵の初め
聖なる方を知ることは悟りである。 箴言9;10
3、不従順のヨナを助ける神
神は「大魚」を備えて嵐にもがくヨナを呑み込ませた。17
神は不従順なヨナを放置されたのではなかった。
ふさわしい助けを備えておられた。
不従順に突っ走る時は、心が素直ではなく、ひねくれることが多い。
その後、頭を打って傷心するのだが、最も良い癒しはしばらく神の御手の中だけで静まる時を待つことである。
大魚の中はヨナが嵐から守られ、自分の不従順な行動を反省する最も良い時であった。
立ち返って静かにすれば
あなた方は救われ、
落ち着いて信頼すれば、
あなた方は力を得る。 イザヤ30:15
昨日、ブログを読んでいてくれる友達が、
「身体が大変なのにお庭の手入れが良くされているね〜いつもお花の写真が美しい」と褒めてくれた^ ^
それは美しい所だけ切り取って写しているからであって、落ち葉だらけ草生え放題のところは撮さないだけなのだ。
今日のゼラニウムは放りっぱなしでも綺麗に咲く花で私向きだ。
水やりも毎日でなくても良いし、時々肥料をやるだけで、ほぼ年中咲いている楽ちんな花。
水やりの時上の方の鉢には背伸びをする必要があって、これもリハビリの一つと思ってしている。
「匂いが・・」と言う人もたまにいるが、私は気にならない。
ずっと前に南フランスのブロバンスで、セザンヌのアトリエに行った。
アトリエの窓にはやっぱりゼラニウムの鉢植えが並んでいて感激した。
ゼラニウムのデッサンを壁にピンアップしていた若いころが思い出されたのだった。
シンプルだけどモダン、焼き物の鉢に似合う。
見事なカーラー、教会の玄関横に咲いていた。
「白いのにカラー?」Yさんが駄洒落を飛ばした。
「座布団一枚」
何ヶ月ぶりだろう。
教会での日曜礼拝に出かけられたのは。
懐かしい人たちに会って嬉しい。
コロナの間に入院した人や調子を悪くなった人にも出会えて嬉しかった。
礼拝では牧師先生の説教の声がやっぱり素晴らしい声。
ネットの画面では私の耳には聞こえづらい。
「字幕つけて〜」って言いたくなるけれど、礼拝堂ではメッセージの内容もよく心に入ってくる。
礼拝が終わってから、教会の玄関を出たところでおしゃべりをした。
赤ちゃんの時にあった以来の後藤先生宅の子供たちにも会えた。
大きくなっているのでびっくりした。
新緑が美しい並木道をYさんと喋りながら帰る。
Yさんも骨折して入院を経験なさったけれど復活!
歩ける喜びを感謝しつつ一緒に頑張って坂道を歩く。
できる限り、車で迎えに来てもらうことは後に伸ばして歩き続けよう。
嬉しかった日曜日