a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

物は大切に

f:id:a-doll:20200813165017j:plain
パキラを剪定して切った枝を捨てずに適当に挿しておいたら、全部着いた。

庭に放りっぱなしが良かったみたい。

元気な観葉植物である。

 

今、外へ出られないので、冷房を入れた家の中でちょっとしたことを始めている。

何かと言うと、幾つか並んだ観葉植物の下に敷くマットを作ろうと思っているのだ。

水やりの時、こぼれたり溢れて床が汚れるから。

 

シーツを真ん中が擦り切れるまで使ったから新しいのに変える、となった時、古いのは捨てないで洗って畳んで取ってある。

私は物を大切にする昔人間だから。

それを割いて3色を三つ編みにして長方形の大きなのを作るつもり。

f:id:a-doll:20200813165029j:plain

これはゴミ缶の下敷き。丈夫が取り柄。

 

目がしっかり見えてなくてもこれなら雑に作っても大丈夫。

出来上がるのは何時か分からないがけれど。

 

 

好きな映画百選「モンパルナスの灯」

f:id:a-doll:20200812164652j:plain

今日も暑い。

頭痛、肩こりがひどい。

パソコンのマウスが壊れたので新しいマウスを買って使ったら、パソコンが古いから機能しないところが有って、肩こりの原因になっている。

いよいよ新しいパソコンに買い換えるかなあ?

 

今日も「好きな映画百選」行きます!!

 

1958年フランス映画「モンパルナスの灯」

 

画家モジリアーニの恋と挫折を映画化したもの。

モジリアーニにはジェラール・フィリップ

妻のジャンヌにはアヌーク・エーメ。

 

売れない画家を親の反対を押し切って南仏ニースまで追いかけてきたジャンヌ。

モジニアー二は結核を患っていて、おまけにプライドが高くお金がなくアルコールに溺れれる生活である。

天才芸術家に有り勝ちなパターン。

 

極端にデフォルメされた人物画は中々受け入れてもらえなかったのだ。

36歳の若さで絶望のうちに死んでしまう。

残されたジャンヌの悲しみと絶望。

 

私がこの映画を観たのは60年前。

ジェラール・フィリップの水際だった美男子ぶりにすぐにファンになったのだが、今日観ても素晴らしい魅力溢れる俳優で、モジリアーニの苦悩、絶望が良く表現されて溜息が出る。

 

ジェラール・フィリップはこの映画の後、ガンで36才で死んでしまった。

美人薄命は男性にも当てはまる。

お爺さんになった彼の映画を見るのは嫌だから良かったかも知れない。

それに引き換えジャンヌ役のアヌーク・エーメはつい最近も「男と女」に出ていたがまだまだ美しい。

並外れた美貌なのに逞しい女性だ。

 

この映画はモノクロで、モジリアニの絵は想像で色づけせねばならない。

貧しいアパルトマンでの明け暮れ。

管理人の小母さんが面白い。

 

モジリアニを扱った映画はアンディ・ガルシア(この俳優もお気に入り)が演じた2004年の「モジリアーニ真実の愛」がある。

この映画も良かった。

 

 

ジェラール・フィリップの映画は沢山観たが「モンパルナスの灯」が一番好き。

「好きな映画百選」入り、これに決定。

 

モンパルナスの灯 Blu-ray

モンパルナスの灯 Blu-ray

  • 発売日: 2014/10/24
  • メディア: Blu-ray
 

 

生涯で好きな映画百選

暑い〜(⌒-⌒; )

熱中症とコロナが怖いので冷房を入れて家で篭っている。

午後はやはり映画を観た。

私は生涯のうちで数え切れないほどの映画を観賞してきた。

 

暇で退屈しきっている毎日「生涯で好きな映画百選」というのをやってみようかな、と思っている。

というわけで今日はその1本を観た。

 

1948年・イギリス映画「赤い靴」

赤いバレーシューズが画面に映し出されて始まるバレー映画。

この映画はアンデルセンの「赤い靴」が原作である。

赤い靴は一度履いたら踊りを止められないというお話。

 

美しいバレリーナ、ヴィクトリア(モイラ・シャーラー)が才能があり期待されながら、恋故に悩みぬく。

恋人について行くか、バレリーナとして踊り続けるか・・・。

ちょっと古い時代だから男性が女を縛りつけようとしている。

作曲家の恋人は彼女を独占しようとする。嫌い!

 

この映画を初めて観たのは中学生か高校生の頃で、

中之島の朝日会館で観た。

もう70年ほど昔になる。

全体を通して美しく、中でもファンタジックなバレーの場面が素敵だ。

バレー団長が冷たい人だ、と子供心に思った。

アントン・ウォールブルックが演じているが、格好いいとも思ったのだが、高齢になった今も同じクールで格好良いわ。

好きな映画100の中の1つに入れよう。

 

赤い靴 DDC-087 [DVD]

赤い靴 DDC-087 [DVD]

  • 発売日: 2013/05/28
  • メディア: DVD
 

 

 

赤い靴  デジタルリマスター・エディション [DVD]
 

 

 

 

よしのさん晩年

f:id:a-doll:20200810134711j:plain

アボガドは大好き。

種も捨てられなくて・・・別に実がなるまで育てるつもりは無いけど。

何か可愛い。

 

私のお祖母ちゃん(よしのさん) つづき

 

昭和16年(1941年)の春に、父は郊外に200坪の土地を借りて家を建てた。

(何度もブログに書いた)

 

戦争の足音が近くなり、家族全員が大阪市内から疎開したのだった。

その年の12月8日、日本は真珠湾攻撃をして戦争に突入した。

 

よしのさんには娘が2人いた。

可哀想なのは早くに最愛の夫が亡くなったこと。

今でも母子家庭の暮らしは大変なのに、明治の頃は貧しい暮らしだったと思う。

 

長女が成長して婿養子をとった。

亡くなった夫の家を再興させようと期待したのでは無いか?

しかし、よしのさんの夢は破れて、夫婦の間に生まれた女の子も、長女も亡くなった。

儚く命が消える家族であった。

 

この時代、人はすぐ死んだのである。

 

残されたのは、お婿さんとよしのさん。

しばらくして、お婿さんはどこかで見つけた女性を後妻として家に連れて来た。

よしのさんは、あったまに来て我慢の限界が・・・。

娘と孫を失った悲しみも有るだろう。

 

次女(私の母)はその頃子供が6人も生まれていた。

私は幼稚園児で妹はまだ赤ちゃん。

私の父が「うちで暮らしはったらよろしがな。子供も仰山居るからお守りもいるし」と同居を勧めたんだ。

 

よしのさんは次女の家族の中の祖母という居場所を得たのだ。

 

夫の位牌の入った小さな仏壇。

押入れには真っ黒の小袖箪笥が1棹と布団。

それだけがよしのさんの財産だった。

 

戦争が起ころうと、食べ物が手に入り難くなろうと、心配しなくても娘の夫が面倒を見てくれる安心感。

 

最後の1年は認知症で大変だったが、92歳で家で娘(母)と孫2人(私と妹)に看取られて息を引き取った。

気儘ゆえ苦労が絶えない人生だったけれど、晩年は気楽で平安だったと思う。

 

若い頃から大阪暮らしで和歌山弁は殆ど無かったけれど、よさり(晩のこと)、よんべ(ゆうべ)とか言ってたな。

f:id:a-doll:20180724113037j:plain

90歳のよしのさん。

隣に座る孫(私の兄)の胸あたりの座高しかない。

 

 

暑い日曜日

暑い日曜日。

 

今日8月9日は75年前に長崎に原爆を落とされた日。

広島で6日に原爆が炸裂し、その後候補地が絞られたという。

その中には大阪が含まれていたが、その頃既に何度も空襲が有って大阪市中は丸焼けになって居て、焼け野原に落としても効果が無い、という理由で最終的に長崎に投下されたという。

 

まるで悪魔がゲームをしているような感覚。

核が兵器に使われるという考えだけでも恐ろしい。

75年が経っても、反省もなければ核を持たない勇気も生まれないという人間の情けなさ・・・。

 

教会には出席しないでパソコンを通して礼拝をする。

高齢者はコロナに罹りやすいし、なったらイチコロや、と誰かが言ったし。

 

https://www.youtube.com/watch?v=NpQktsA7qd4

礼拝メッセージ興味のある方はご覧ください。

f:id:a-doll:20200807190322j:plain

コロナのニュースに背を向ける。



よしのさんと天然痘

f:id:a-doll:20200808152357j:plain

暑いのに又咲いた蕃茉莉。

 

私のお祖母ちゃん(改定版)

毎年夏になると、暑いし暇だから、私に繋がる昔の人のことを想いだして書いてみる事にしている。

 

私の祖母は江戸時代の人である。

元治元年(1864年)子年の生まれ。

江戸、明治、大正、昭和を生きた人である。

母は祖母が36歳の時に生まれて、私も母が36歳の時に生まれている。

だから今年は祖母の生誕155年かな?

 83+72=155 合ってる。

3人ともねずみ年。

ちょっと不思議な血縁関係。

 

祖母の名前はよしのさんという。

私のブログではよしのさんで通っている。

私が物心がついた頃、よしのさんは既に80歳近かった。

背中が丸く二つ折れになっていて黒い丸い石ころのような印象だった。

 

納戸のような部屋の隅にいつも座っていた。石ころが転がっているように。

 

このよしのさんは子供の頃、天然痘が流行った。

幼いよしのさんは運悪く天然痘に罹患した。

まだワクチン(種痘)が日本全土に行き渡っていなかった。

幼い私に話した闘病生活は、大きな桶のような中に寝かされて隔離されていたらしい。

 

幸い命を取り留め、目も煩わず(後遺症として目が見えなくなる人が多かったと聞く)、快癒したが顔に痘痕(あばた)が残ったのだった。

私が知るよしのさんの顔はしわくちゃで、痘痕は分からなくなっていたが。

 

こんな悪口を書いている悪い孫だけど、今思えば顔に痘痕が残ることはさぞ子供心に傷ついていただろう。

辛い娘時代を過ごしたことと同情する。

可哀想なよしのさんなのだ。

それでも私に話した子供の頃の思い出では元気なおてんば娘が浮かぶ。

川で仰向けで泳いだこと(何を着て?水着は無かっただろうし)。

 

紀州、紀ノ川、あら川、粉川、饅頭包むは竹の皮、と言うてな、家のそばに川が流れてたんや」

家は苗字帯刀を許された紀州藩の地主だったというが、わがままな上に痘痕ヅラでは良い嫁入り先も無いだろうし、親は心配して14歳で奉公に出した。

 

幼い私には「お祖母ちゃんはな、14のときに立派な家に嫁に行かされてな~」といったが、幾ら明治時代と言え14才は無いだろう、多分行儀見習いに出されたのだろうと孫の私は冷静に判断する。

よしのさんは字が書けず読めなかった。

多分、勉強をするのが嫌いで寺子屋へ通わず、お裁縫も、苦手だったと思われる。

 

幼い私に話しをする時は色摺りの錦絵を見せてくれた。

殆どは地獄極楽のおどろおどろした絵だったから「こんなん気色悪いから見るのん嫌や~」と逃げた。

 

奉公先は、格式あるお家で「紀州の殿様が休憩しはるお家」とは祖母の記憶。

奉公先で何年か行儀作法を仕込んでもらったら、良い縁談を探して下さるからお嫁に行ける筈。

しかし、余りの窮屈さに辛抱できずよしのさんは飛び出した。

わがままな娘には無理だった。

出たものの実家に帰ると叱られるから、そのまま大阪へ出奔したのだという。

 

和歌山の実家が何も手に職の無い娘をいくらワガママだからといって一人放っておくことは無かったと思うが、普通の人より苦難の青春時代を送ったと思う。

 

幸い結婚した相手は、背が高くて優しく、出自は金沢の立派な家の跡取り息子だった。

痘痕はあっても多分闊達な性格で私のお祖父さんにとって「あばたもえくぼ」だったと思いたい。

今は落ちぶれているけれど、勝気なよしのさんには満足出来る相手に巡り合ったのだ。

 

よしのさんは天然痘という防ぎようの無いウイルスにやられたけれど、命を取り留めた。

そして何と当時では珍しく92歳まで生きたのだった。

子供は母一人だったけれど、孫が6人生まれて、ひ孫は15人も生まれ、玄孫は?・・・と繋がっていったのだから、大切な大切な命だったのである。

 

そして私も今ここに生きている。

 

つづく

 

好きな時に寝起きをするのは良いか

f:id:a-doll:20200807170127j:plain

「暑中見舞い」に送ってきた金魚。

透明の浮き輪にぶら下がっているので、水に入れると泳いでいる様に見える。

涼しげである。

私も泳ぎたいなあ。

餌をやらなくても良い世話のかからない金魚チャン。

 

今日は暑さで参っている。

 

ずーっと以前に劇作家の飯沢匡さんがおっしゃっていたことに、

「年を取るとね、寝たい時間に寝て好きな時間に起きれば良いんだよ。何時間寝るとか関係無いよ」と。

私は年を取るって良いな、私もお婆さんになったら寝たい時に寝よう・・・。

とその時思ったのだが。

飯沢匡さんはそれからすぐに亡くなられたので(85才)私は思った。

好きな時に寝て好きな時に起きるのはよくない、と。

 

だから私はその年頃になった今、3食きっちり決まった時間に食べて、寝る時間も起きる時間も、おおよそ規則正しくしているのだ。