アメリカからの客と歓談中に、姪Hちゃんから電話が掛かった。
4時過ぎ。
一人暮らしの姉は、毎日夕方にお弁当を配達してもらっていて、そのおじさんから電話があって、「部屋で倒れていたから抱き抱えて椅子に座らせて来ました」と報告してきたという。
Hちゃんは横浜に住んでいるのすぐ来られない。
何かの時は私達が駆けつけられるように、家の鍵を預かっている。
遠来の客を追い立てるように駅まで送ってから、娘と姉の家に駆けつけた。
急ぐから高速を走る。
30分ほどで到着。
玄関は鍵が掛かっておらず、戸を開けると姉はドアの前に三角座りでしゃがみ込んでいた。
「どうしたん?」
立てないみたい。
「今日は月曜やのに、ヘルパーさんが来はれへんから何でかな〜と思って」
「今日は日曜日やからヘルパーさんは来はれへんよ」
姉はちょっと混乱している。
エアコンはついていて熱中症ではなさそうだか、立てない。
駐車場に車を停めてから娘が来た。
電話して救急車に来てもらった。
「保険証、お薬手帳など」を探して持って、私が救急車に同乗する。姉と乗るのは2回目だ。
救急隊員はどの人も優しい。
「妹さんはどこから来はったんですか?」と問われたから、住所を言うと「えらい遠いとこから来はったんですね」と労ってくれた。
私の心が落ち着いた。
娘は車で救急車の後から来た。
これも8年前と同じだ。
病院も同じ病院。
救急の先生は内科医だが、優秀だった。
骨折ではないか?とレントゲンを取ったら右股関節骨折で即入院となった。
病院のシステムは姉が左大腿骨骨折で8年前に入院した時と全く違う。
部屋は個室しか空いてなかったが、入院に必要なものは全てレンタルで、家族の出入りはダメで、面会は予約制で、とても厳しい。
個人情報の扱いにも厳しい。
膨大な書類を書き、説明を受け、確認し、姉を病室に入っていくのを見送って終わり。
部屋がどんななのか中を見ることも出来なかった。
病棟の看護師さんに諸々の説明を受けて、質問され、横浜のHちゃんと電話で確認し
全部終わったのが8時半。
再び姉の家に行って、飲んでいる薬を探して病院へ持って行く。
姉の家のゴミを積んで、途中でコンビニで私達の夕飯を買って、家に帰ったのが10時だった。
私は緊急事態になると血圧が上昇して元気に成るのだが、今日は冷房がんがんの面会室で長時間の説明の時間が応えて、帰り路、腰のあたりが痛くなった。
「やばい」と娘が心配した。
帰宅後、湿布を貼って食事をしてすぐ寝た。
朝、すっかり痛みは取れたのでホッとした。
この上私が3度目の圧迫骨折でもなったら大変だ。
私は姉のように転けないけれど、何もしなくても圧迫骨折をする骨の弱さを抱えている。今後はより慎重に行動しよう。
別れ際、姉が「今日は帰られへんの?」と聞くから、「しばらく入院やよ」
「4、5日?」
「う〜ん、もうちょっと長いと思うよ」
可哀想で胸が一杯になる。
姉は93歳、9月9日には94歳になる。
前の骨折の時は手術をしてボルトを入れ長く入院して完治したが、今回は高齢だし、どうなるのだろう。
幸い、姉は不思議な人で痛みを感じない。
何とかこのまま寝たきりの生活にならないように祈るのみ。
午後、病院から連絡が来て、明日手術をするとのこと。
今日は新幹線の事故で、Hちゃんは大阪へ来られなくなって、娘が入院手付金(?)を支払いに行った。
娘の予定が入っていない日でよかった。
私は1日ゆっくり家事をして元気を取り戻した。