a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「生きて行く力」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ5:1〜9
私たちは神の作品であって、しかも神の手作りの愛の結晶である。
なのに何故、劣等感に落ち入り生きる喜びを失うのか。
悪い情報を聞き続けるからか。聖書からは特別のよい情報を得られる。
エルサレムにペデスタ(哀れみの家)と呼ばれる池があった。
そこは天使が時々降りて来て水をかき回した。
掻き回した水に最初に入ると、病が癒されるのであった。
そこに、病気で38年の間、絶望の中で臥せっている男がいた。5節
彼の絶望は、
1、人生に対して。
2、最初に池の水に入ることができないこと。
3、無視されて、自分の価値を失ってしまったこと。

男が立ち直った理由は。
1、男は癒して下さる方を知った。
誰も見向きもしない孤独な男にイエスは「良くなりたいか」と声をかけられた。6節
孤独とは頼れる方を知らないことである。
2、病の癒しを強く願うこと。
男は治りたい気持を無くしていた。希望を失っている。
その男に歓喜の気持を起こさせた。
我々は失望のメッセージに捕われやすい。悪魔の語り口に乗せられてはならない。
例えば、祟りだとか因果応報とか。
決してあきらめないことである。
3、不幸を人の所為にしない。
男は思いを吐露した。人の所為を数え上げている。人が助けてくれない。7節
何かのせいにするのは止めなければならない。
イエスは無視して、男に言われた。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」8節


イエスキリストを受入れることに寄って、人生は変えられる。
御言葉を聞いて、新しい人生を歩み出しなさい。
 その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。9節