a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「赦し」に関する譬え話

婦人聖書の集いより
聖書:マタイ18:21−35
ペテロが「兄弟を何度まで赦すべきか」に対する譬え話である。
話としてはよくわかるが、35節の結論について。
ここを読むとクリスチャンは自信喪失に陥りそうだ。
どう理解するか学ぶ。

1、譬え話の意味
・「王」=神 23
・「しもべ」=全ての人間 23
・「清算」=人生の終わりの裁き(死後の裁きヘブル9;27)(23)
・「王に対する1万タラントの借金」=神に対する罪を換算した場合の負債額 (24)
 1万タラント=6000万デナリ=6千億円 神から受ける恵を思えば法外な値ではない。
・「1万タラントの帳消し」=神による一方的な罪の赦し (27)
・「人に対する百デナリの借金」他人に対する負い目や罪(人間関係による)を換算した負債額  (28)
 100デナリ=100万円
・「仲間を牢に投げ入れる」=赦さない態度  (30)
ここまでは理解できるがその後、仲間を赦さないしもべのことを聞いた王が取った処置からの結論についてが問題となる。

2、「あなたがたもそれぞれ、こころから兄妹を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです」 (35)
・誤解
他人を赦さなければ神の赦しを失う。
つまり神の赦しを得るためには他人を赦すことが条件になると解釈する。
これは、人間の罪の赦しや救いはキリストを信じる信仰によると教えている聖書の中心的メッセージと異なる理解となる。
エペソ2:8、9
・正解
他人を赦さないなら、神からの罪の赦しや救いは失われないものの、神との交わりの喪失に陥り、獄屋(34)にいるような赦さない苦しみに陥るだろう。1ヨハネ1−9

3、他人を赦しうるために
・相手の立場の理解ー「王」のように「かわいそうに思う」(27)ことができれば良いが、そうでなくても相手の立場を理解しようと努めること。
・自分の身を顧みることー神に対する罪の完全帳消しの恵を思うこと。

憎しみや恨みを持っていると、ぶどうの木の枝につながらないため御霊の実が結ばない。
それは、神との交流がストップすると実の結ぶ生活がストップしてしまうこと。

3種類の人間がある。
・人
・クリスチャンだが神との交流がない人
・神との交わりがある人