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a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

山上の垂訓(8)

 

婦人聖書の集いより

(9月2日)

  マタイ6:6-15

祈りについて学ぶ。

 

1、神が全治ならば、なぜ祈る必要があるのか

 あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、

 あなたがたに必要なものを知っておられるからです。8節

それなら何故神に祈る必要があるのか?

祈り=願い事

と理解しているからである。

わざわざ自分の願い事を伝える必要はない。

 

祈り」とは「神との交わり」である。

感謝や賛美や悔い改めや願いなどを通して神と交わることが祈りである。

 

 

2、「主の祈り」のなかで何故自分に関する願いが最初でないのか

 

 御名があがめられますように。            9節

 御国が来ますように。                

 みこころが天で行われるように地でも行われますように。10節

 私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。     11節

 

4番目にようやく自分の必要を訴えるようになっている。

神の御名を崇めたのち、恵みを思うことがやがて平安に繋がる。

 

3、15節の人を許さないなら神も私たちの罪をおゆるしになりません。で教えられること  

・許さない事は人との関係だけでなく、神との関係を損なう事。

・許す力は生来の努力では不可能である。

他人を許す力は元々人間にはない。不可能を承知の上で神が人に求める事はありえない。

・福音の深い理解こそ赦しの力に導く。

私は1万タラント(6千億円)の借金(罪)を帳消しにされた者である。 マタイ18:21-35

という深い自覚を失うと百デナリ(百万円)の他人の罪を赦せない、となってしまう。

福音の恵みを覚えたい。

 互いに忍び合い、だれかが他の人に不満を抱く事があっても、

 互いに許し合いなさい。

 主があなたがたを許してくださったように、あなたがたもそうしなさい。コロサイ3:13