a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

Merry Christmas

日曜日がクリスマスって嬉しい。
寒いのに、2部の礼拝には80人も出席者が有った。帰省で家族と共に礼拝に出席した若い人も多い。
夕方からは、音楽礼拝に出席する。
オープニングはハンドベルクワイアで「鳥の歌」を若い女の子達が演奏した。素晴らしい音色で、昨夜テレビで聴いたどこかの演奏よりずっ〜と胸に響いて素晴らしかった。
プログラムの中では、チェロとバイオリンの演奏、グリークの「ゆりかごの歌」も素敵だった。勿論どれも良い賛美だった。聖書朗読の時のモニターに使われたのは、カール・ブロック(1834〜1890)の聖画(その1部が下の写真)。
クリスマスの賛美歌を沢山歌って、牧師先生のメッセージ「生きて行く力」を聞く。
最後に「聖この夜」を歌いながらのキャンドルサービスで終る。
クリスマスを教会で過ごせて幸せだった。

御使い、羊飼いに現れる。

救い主の誕生

「喪失の年におけるクリスマス」

日曜礼拝のメッセージから。
ピリピ2:6〜9
愛と恋はどう違うか。愛は真心で、恋は下心。どちらの漢字も心が使われている。
愛は真ん中に、恋という字は心が下に付いている。

キリストの愛は真心である。
今日クリスマスはイエスキリストがお生まれになった日。
1、イエスキリストとはどう言うお方であるか。
 神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、6節
 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
 人間と同じようになられました。7節
人間は誰も苦しい時に神を求める気持を持つ。
しかしそれは漠然としたものでしかなかった。
神が見える形で人を救うためにお生まれになったのがキリストである。
2、キリストは最大の喪失を経験された。
 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。8節
今年ほど災害が多かった年は無い。

鞭打たれ、唾を吐かれ、茨の冠を被せられ、十字架に釘打たれたキリスト。十字架の刑は最悪の刑であった。
そんなキリストは、悲しみを黙って共感して共に歩んで下さる。
3、喪失が栄光に変わる。
 それゆえ神は、この方を高く上げて、
 すべての名にまさる名をお与えになりました。9節
喪失が栄光に変わる時が来る。ヨブもアブラハムも祝福された。
父なる神は、愛する子に求めれば与えて下さる。
マタイ7:9には、自分の子が求めるものを与えたいとある。
神は与えたい思っておられる。
大胆に切に求めよう。