a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

合唱祭出場

雨が止んで外出には最適な日和になった。

今日は1年に1度開かれる大阪府合唱連盟の合唱祭だった。

今回は先生のご都合で今日になり、すなわち場所は我が家に近い「SAYAKAホール」で出場した。

私たちのグループのメンバーは大阪北部に住んでいる人が多く、遠路はるばるご苦労さんという感じで、私一人が楽をした。

少し早く行って「大阪府合唱祭のうた」を会場で歌う。

 

泉北に住む同期生とがご夫婦で聞きに来てくれた。差し入れまでもって。

同期生でコーラスに入っているのは7名。あと2人は入院して闘病中である。

 

「麦の歌」と「ふるさと」の2曲を歌う。

出来が良かろうが悪かろうが、済んだら皆忘れて「打ち上げ」に直行した。

打ち上げは狭山の「がんこずし」から送迎バスに来てもらった。

 

帰りはピアニストのN先生に家まで送ってもらう。

かなり疲れた日。

雨の中を歩く

朝から雷も鳴って土砂降り。

昨日、側溝の落ち葉を取っておかないと水が溢れる・・・と思っていたのに、くたびれてそれどころじゃなかったから、今朝、ポツポツ降り出した雨の中傘をさして落ち葉をすくい取った。

これらは全て我が家の木の落ち葉なので誰にも文句は言えず、だまって私が取り除くしかない。

 

これで雨の日は家に篭れる、と思っていたら昨日猫の餌を買うのを忘れたのを思い出した。

まだかなり残っているのだけれど、明日も忙しいし、餌の買い忘れのために猫が飢えるなんて想像したくないから、いっとき小降りになったのでスーパーに出かけた。

滑るから雨の日は出来るだけ歩かないようにしている昨今だけど、雨の中を歩くのって以外と楽しい。

 

炎天下を歩くのと大違い。

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ヒペリカムカリシナム。

暑い日は巡回バスで

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蒸し暑さが応える。

熱中症になっても困るので、巡回バスで公民館へ。

バス停までの距離は公民館への道のりの半分ほどなので、あと半分頑張ったら良いのだけれど・・・今日は暑さに慣れていないからバスで行く。

バス代は100円。

練習の前に図書館へ寄る。

図書カードとピタパカードと間違えて渡してバツが悪い。

顔なじみだから、毎度のことと笑ってごまかす。

 

今日は「三善晃」の曲の練習。リズム難しい。16ビートで歌う。

脳みそが草臥れた〜。

元気な高齢者

午後3時。

Nさんが来た。

二人で近くに住むKさんを訪問する。

Kさんは先月97歳の誕生日を迎えた。

さすがに足元が弱って外に出るのが難しくて教会も休んでおられる。

買い物はヘルパーさんに頼んでメモをして買ってきてもらうが、洗濯も掃除もまだ自分でしているそうだ。

おしゃべりのNさんと私がしゃべるのをニコニコ笑って聞きながら、時々口を挟むだけ。

お土産に持って行った柏餅を美味しいわとぺろっと食べた。

「咽せないように気をつけんとね」というと「私は咽せたことないの」と、やっぱり97歳までしゃんと生きている人は違うわ・・・と改めて感動した。

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テーブルにグミの枝が生けてあった。

「懐かしいわ、ぐみやん!」と言ったら「食べて・・・」懐かしいグミの渋い味がした。

戦時中食べ物が無いとき、庭に植えてあったグミをおやつ代わりに妹と食べたのを思い出した。

赤く熟したのを口一杯に頬張って、種を飛ばして妹と食べ比べをした懐かしい思い出。

 

Nさんは「しぶいわ」とたった一つしか食べなかったけれど、この渋い実でも飢えた子供のお腹の足しになったのだった。

それから戦時中の話になって、しゃべること3時間。

Kさんは草臥れはったやろ。

私も喋り過ぎてくたびれたけれど楽しかった。

 

聖書の動物たち(4)ー犬

聖書の動物たち(4)ー犬

 

現代の犬は世界中で愛玩動物として扱われている。

しかし古代イスラエルではそうではなかった。

羊がイスラエル人の象徴であるのに対し、犬は異邦人の象徴であった。

 

聖書 マタイ15:21-28

 

キリストがツロンとシドンという異邦人の町に行かれた時、

 すると見よ。

 その地方のカナン人の女が出て来て、

 主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。

 娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。15:22

しかし主の態度は冷たく感じられる。

 

その1、

 わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、

 遣わされていません。

と婦人の願いに拒否?24

答え:主イエスがこの地に来られたこと自体が既に異邦人の救いを考えておられる証拠。(ヨハネ4章のサマリヤの女の救いと同じ)

その2、

 子供たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。26

この言葉には二つの意図がある。

①信仰のチャレンジ

イスラエル人の盲人バルてマイの話でも、叫び求める彼の願いを主は聞き続けておられたけれど、直ぐには癒しをされなかった。

それは却下ではなく「信仰のチャレンジ」であった。

同じ様にこの婦人が「執拗に」求めてくることを知っておられた上で、彼女の信仰が強められるのを願っての当面の却下であった。

②主がどの様なお方かを理解させる。

もし異邦人である婦人の娘を直ぐに癒した場合、聖書の知識もない世界において、キリストを単なる「霊能者」とみなして終わる危険性があった。

そのために聖書にある「イスラエルへの養い」の優先性を示し、ご自分が「救い主」であることを暗に示されたと考える。

だから「却下」でなくてご自分が聖書を預言する救い主であることを示すための言葉であろう。

 

 しかし、彼女は言った。

「主よ、その通りです。

 ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」27

イスラエルが優先される救いの順序を良く理解していること、さらにはパン屑を「犬」に与える救い主であることを理解していることを暗示する。

それでキリストは婦人の信仰を賞賛されたのである。

 イエスは答えられた。

「女の方。あなたの信仰は立派です。

 あなたが願うとおりになるように。」

 彼女の娘は、すぐに癒された。28

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楽しい教会生活

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朝から曇天でふらつき感。

血圧も低い。

ピンクの洋服を着て、ピンクのパラソルで教会へ行く。

今日は受付の奉仕当番。

出会う友達が「素敵な服!」と褒めてくれた^ ^。

古い洋服なんだけれど褒められて良い気分。

 

ランチで友人といつもの様におしゃべりタイムを過ごす。

話題は色々だが、漫才のネタに使えそうな話を一杯して楽しかった。

何故だか「三島由紀夫」の話題になって、どんな作品があるの?と誰かが聞いたら、文学老女Yさん(ごめん)が「潮騒とか金閣寺とか、なんとかの曳航(帰って調べたら午後の曳航だった)、それから美徳のよろめき・・・」と並べたが・・・。

少し若い世代にはこの「よろめき」の意味がもう一つ通じない。

 

美徳のよろめき」と「高齢者のよろめき」はどう違うか。

今日一番のヒットの話題となった。

 

時計は2時を指した。

Sさんが「コーヒーでも入れます?」と優しく聞いてくださったが、あまりにも厚かましく解散の運びとなる。

雨が降り出した。