聖書の動物たち(4)ー犬
現代の犬は世界中で愛玩動物として扱われている。
しかし古代イスラエルではそうではなかった。
羊がイスラエル人の象徴であるのに対し、犬は異邦人の象徴であった。
聖書 マタイ15:21-28
キリストがツロンとシドンという異邦人の町に行かれた時、
すると見よ。
その地方のカナン人の女が出て来て、
主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。
娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。15:22
しかし主の態度は冷たく感じられる。
その1、
わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、
遣わされていません。
と婦人の願いに拒否?24
答え:主イエスがこの地に来られたこと自体が既に異邦人の救いを考えておられる証拠。(ヨハネ4章のサマリヤの女の救いと同じ)
その2、
子供たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。26
この言葉には二つの意図がある。
①信仰のチャレンジ
イスラエル人の盲人バルてマイの話でも、叫び求める彼の願いを主は聞き続けておられたけれど、直ぐには癒しをされなかった。
それは却下ではなく「信仰のチャレンジ」であった。
同じ様にこの婦人が「執拗に」求めてくることを知っておられた上で、彼女の信仰が強められるのを願っての当面の却下であった。
②主がどの様なお方かを理解させる。
もし異邦人である婦人の娘を直ぐに癒した場合、聖書の知識もない世界において、キリストを単なる「霊能者」とみなして終わる危険性があった。
そのために聖書にある「イスラエルへの養い」の優先性を示し、ご自分が「救い主」であることを暗に示されたと考える。
だから「却下」でなくてご自分が聖書を預言する救い主であることを示すための言葉であろう。
しかし、彼女は言った。
「主よ、その通りです。
ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」27
イスラエルが優先される救いの順序を良く理解していること、さらにはパン屑を「犬」に与える救い主であることを理解していることを暗示する。
それでキリストは婦人の信仰を賞賛されたのである。
イエスは答えられた。
「女の方。あなたの信仰は立派です。
あなたが願うとおりになるように。」
彼女の娘は、すぐに癒された。28