聖書の動物たち(1)ー羊
ジャン=フランソワ・ミレー「羊飼いの少女」
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
聖書に登場する動物の中で一番多いのは「羊」。
羊が最初に出てくるのは創世記のアダムの弟息子アベルが羊飼いであったことに始まる。
それほどイスラエルでは古い時代から生活に密着している動物と言える。
1、羊はイスラエル人が最も愛した動物である
貧しい人は、
自分で買ってきて育てた1匹の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。
子羊は彼とその子どもたちと一緒に暮らし、
彼と同じ食べ物を食べ、同じ杯から飲み、
彼の懐で休み、
まるで彼の娘のようでした。 第2サムエル記12:3
ーキリストの譬え話ー
見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、 ルカ15:5
羊飼いが「いなくなった羊」を見つけ大喜びで「担いで」連れ帰る姿。
この話は譬え話であることを思えば、羊とは人間であり、その羊を探すのは神である。
※つまり神が最も愛している被造物とは「人間」なのである。
2、羊はさ迷い易く傷つきやすい動物である
私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。 イザヤ53:6
羊は狼のようにリーダーのもとに乱れず行動しない。
放っておけば「勝手に」行動し、さまよい出す動物である。
人間の姿そのものである。
それ故正しい道に行くためには「羊飼い」が必要なのである。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。
しかし今や、自分のたましいの牧者であり
監督者である方のもとに帰った。 第1ペテロ2:25
人間は「たましいの牧者」に立ち返るべき存在である。
3、羊は人間の救いのために身代わりとなってくれる動物である
ここでアベルの話をしよう。
兄カインが農夫となったのに対し、弟アベルは「羊飼い」になった。
アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。 創世記4:2
アベルはなぜ羊飼いの道を選んだのだろう。
それは後に兄弟が神に捧げものをすることになり、
主はアベルとそのささげ物に目を留められた。4:2
とある。
アベルが捧げ物をする上で深く神の御心を知る過去の事件がある。
それは両親が神の戒めを破り罪を犯しエデンの園から追放された時、アダムとエバが身にまとっていたのは粗末な「無花果の葉」に代えて、
ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。
そこで彼らは、無花果の葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。3:7
神は「皮の衣」を作ってくださった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。3:21
彼らの罪の赦しと救いのために羊が犠牲になって屠られ衣を作られ与えられたことがアベルの脳裏に深く刻まれていた筈である。
人間の罪に対する赦しと救いには「羊」が屠られて血が流されることが人類の初めから示されていたのである。
それはやがて、人類の救い主キリストが「神の子羊」とよばれる事に繋がっていく。