雨の日。
階段下物置から掃除機ホースとモップを出してくると、クルミは急いでテーブルの下に隠れる。
掃除機の音が怖いのだ。
クルミを驚かす怖いものがもう一つある。
それは私の突然起こるくしゃみ。
飛び上がって逃げていく。
「ごめんごめん」と言いながら連発して鼻水と涙を流しているとそろそろ戻ってくる。
毎度のことながら一瞬何事ぞ?と思うわけだ。
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楽しみと喜び(3)~この日を喜び楽しむ
明治時代に活躍した内村鑑三は「一日一生」という本を著した。
内容は一日を神の御心に生きれば一生を生きた値打ちがある、という趣旨である。
長い一生のことを考えなくても「今日」という一日を精一杯生きれば良いということになる。
今日という一日の行き方を聖書から学ぶ。
聖書 詩篇118:21-24
これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
1、祈りが答えられた
私はあなたに感謝します。
あなたが私に答えられ、
私の救いとなられたからです。118-21
なんらかの危機経験があり、助けを求めた時に、神がその祈りに答えてくださった、という事実からこの日を喜んでいるのである。
これはいつの時代にも言える楽しみであり喜びである。
2、逆転劇があった
家を建てる者たちの捨てた石。
それが礎の石になった。22
これは主のなさったことだ。
私たちの目には不思議なことである。23
この意味は2つある。
①人々が排斥したキリストが人類の救い主となられた、という預言的な意味合いの御言葉である。
時代が変わろうと、キリストこそ信仰者がいつも喜ぶことのできる土台である。
1ペテロ2:7
②人生の逆転劇があり得る
ヨセフの生涯に見られるように、その時は苦しみに思えても、神は愛する者のために人生の逆転劇を実行してくださる。
3、これは「主が設けられた日」である
一日の中に降って沸いたようなことが起こり翻弄されることがある。
それは、神が全ての起こることを御心に留めた上で与えた「今日」なのだ。
だから、想定外のことも、苦しみでさえも神のご計画の中でしか動いていないのだという信仰的立場に立つ時、主に間違いはないと信じて「この日を楽しみ喜ぶ」のである。