a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「ぶどう園の労務者」の譬え話

婦人聖書の集いより
今日の譬え話は、長い時間働いた者も短い時間しか働かなかった者にも同じ賃金が支払われたという話。
何かしっくりこない不公平だなあと思われる箇所である。
どう理解すれば良いか学ぶ。
聖書 マタイ20:1−16

1、この譬え話は天の御国に関することで、地上の労働賃金ではない。
 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。20−1
2、契約された労働賃金「1デナリ」とは何を意味するのか。
 彼は、労務者たちと1日1デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。20−2
地上の労働賃金や奉仕に対する報いではなく、天の御国に入れるという報い、つまり「救い」のことである。
・早朝雇われたのは、幼い時に信仰に導かれた者のこと。2
・9時に雇われたとは、思春期に信仰に導かれた者のこと。3
・12時と3時に雇われた者は、青年期、中年期と考えられる。5
・5時に雇われた者は老年期に救いに預かった者と考えられる。6

同じ救いならこの世で散々好きなことをし、晩年になって信仰を持つ方が良いではないかと考える人がいる。
これは次のことを考慮すべきである。
・人の命の長さは自分で決められない。ルカ12:16−20
・先に救われる信仰的祝福を無視している。

3、後の者が先になり、先の者が後になる」とは何を意味するのか。16
ここからは話は民族的な救いに言及されている。
つまり、
「先の者」=ユダヤ
「後の者」=異邦人
昔から上への信仰について御言葉を聞いてきたユダヤ人はキリストを受け入れず、却って拒否してキリストを退け、御言葉を聞く機会を得なかった異邦人は後になって信仰を得た。
これが正に「後の者が先になり、先の者が後になる」ということである。