第三の言葉
聖書 ルカ39:43
「まことにあなたに告げます。
あなたは今日、
わたしとともにパラダイスにいます」ルカ23:
1、地上の人生は最悪であっても最高の祝福の瞬間がある。
犯罪人の人生は十字架刑を受けるほど、罪に染まっていた。41
そんな人にも救いのチャンスが備えられていた。
地上で富栄えても信仰のない人生と、地上では不幸で最悪であっても死の前に救われるのとは後者の方が神の目には良いことになる。
もし右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても、からだ全体がゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。 マタイ5:29
2、十字架刑に処せられた犯罪人のひとりを悔い改めさせたものは何か。
それはキリストの人格と言葉に触れたことである。ルカ23:33、34
そのとき、イエスはこう言われた。
「父よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」34
キリストについて学ぶことは救いにつながる。
いまだかって神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである
ヨハネ1:18、
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
マタイ11:28、29
3、不完全な信仰告白をも御心に留められる恵
パラダイス(天国)に行くことが赦された犯罪人の信仰告白(42)は現在教会で洗礼を受ける時の信仰告白から考えると不完全なものであったが、天国に行ける救いを得た。(43)
「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」のです。ローマ10:13
①救いは「聞くことから始まる」
信仰は聞くことからはじまり、
聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 ローマ10:17
②限られた状況の中での救いは「主の御名を呼ぶ」ことで可能となる。
③信仰告白した者は許されれば受洗すべきだが、限界状況で受洗に至らなくても救いに預かることが出来る。