聖書の集いが終わってから「聖書を読む会」をする。
「使徒の働き」26章から終わりまで読む。参加者5名。
パウロが囚人として捕らえられカイザリヤを出発してローマへに行く途中マルタ島へ上陸するまで、船が嵐に巻き込まれるところ。
皆で順番に声を出して読むとまるで映画を見ているような迫力ある場面だと改めて思う。
F田さんが地図で教えて下さって皆で確認した。
買い物をして帰宅後、録画しておいた映画「リスボンに誘われて」を観る。
2013年ジェリミー・アイアン主演。
改めてポルトガルの歴史を勉強した。
*八福の教え(4)「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りているから」
聖書 マタイ5:6
義に渇くとはどういう意味だろうか。
1、「義」とは神ご自身である。
ローマ3:26
神を強く求める理由は大きく言って2つ。
①神は私たちの創造者であるから。
②神は私たちの救い主であるから。
※それでこの八福の教えは「神ご自身を強く求めなさい。そうすれば神を見出すであろう」という意味になる。
2、「義に飢え渇く」とは。神に義とされることを求めることである。
与えられた一生をどう生きたか、死後に裁きがあり、そのために神に義とされる道を人々は求めた。
①旧約時代ー律法を守ることによって神に義とされることを求めた。(十戒)
しかし、この道は全員失格であった。ローマ3:20
②新約時代ーキリストへの信仰によって義とされる恵みの道が示された。ローマ3:21、22
※それでこの八福の教えは「信仰によって義とされることを何よりも求めなさい」と解釈される。
3、「義」とは社会正義である。
この世は神の御心に反することが行われる世であり。それゆえ神は以下の方法で私たちが生きる社会に御心が行われることを願っておられる。
①神の御旨が行われるようにとの祈りーマタイ6:10
②御言葉の宣教、各自の証や声明ー1ペテロ2:9
③置かれた環境での善行ー1ペテロ2:13-15
※それでこの八福の教えは「この世で神の義が行われるように「祈り」「証」「行いなさい」となる。