午前中に美容院に行って買い物も済ました。
昼食後はこの所B.Sプレミアの映画を毎日観ているが、今日は寝てしまった。
暖房も要らないほど暖かくて用事が片付いた。
明日届けるお人形の記念写真を撮る。
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新シリーズ「喜びの生活」
「喜び」の本質(1) 婦人聖書の集いより
聖書は多くの「喜び」について語っている。
この世の「喜び」と、聖書の語る「喜び」の違いの本質的なことを学ぶ。
聖書 ルカ10;17~20
1、この世の喜び
この箇所は、弟子達が伝道の成果を喜んでキリストに報告しているところ。
キリストは弟子達にこの世の喜びと聖書的な喜びの違いについて教えられた。
この世の喜びというのは、例えば達成、合格、就職、成功、結婚、癒し…のように好ましい結果や情報によってもたらせられる喜びである、
その特徴は、
①外部的条件に依存
②消え易い一時的な喜び(結婚などは特に・・・)
クリスチャンの奉仕の中にはこの世的喜びは侵入しないと思われがちだが、そうではない。
その例として、3人姉弟のマルタの中に見られる。
マルタという女が喜んでお迎えした。
彼女にマリヤという妹がいたが、
主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
マルタはおもてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て云った。
「主よ。妹が私にだけおもてなしをさせているのを、
なんともお思いにならないのでしょうか。
私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。 ルカ10:38-40
2、聖書の喜び
喜び=原語は「カラ」であり、「カリス」(恵み)を語源とする。
(カリスマ=賜物)
聖書的喜びは、外部の条件や人間の感情に依存するものではなく、神の恵みを理解してこそ与えられる。
あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい。ルカ10:20
は、その代表的神の恵みであるが、この聖書的喜びの自覚を弟子達は忘れて、この世的喜びにかくれてしまった。
キリストは喜びの転換を命じておられる。
この不思議さは私たちの内に働く精霊とみ言葉によってのみ、うなずくことのできる喜びと云えよう。
神の国は、義と平和と精霊による喜び。 ローマ14:17
どうか、望みの神が、
あなたがたを信仰による全ての喜びと平和をもって満たし、
精霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。ローマ15:13