a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

夫の昔の俳句

名古屋在住の夫の友達M氏から分厚い封書が届いた。
M氏は名古屋での古い俳句の友達である。
先日夫の追悼文の載った俳句誌を送ったので、その返事だった。
M氏は夫より2才年上である。夫の訃報を知り心から悲しんで、3月21日の日記を繙いて、天気は雲一つない快晴で、桜がちらほら咲き出して居た日、友達が死んでしまったのだと嘆いていらっしゃる。
そして、昭和23年から32年に至る9年間の俳句誌から、夫の句を抜き出して書き写して下さった。
最初の頃は投稿だけで、後の5年は名古屋に勤務していたので、句会に参加してM氏と交流が有ったのだ。
その後父の会社に呼び戻されて帰阪し、俳句も終わったようである。
100句程有る。少し未熟だが瑞々しい青年の句である。夫は整理整頓が出来なかったので、手元に残ってなくて、勿論句誌も無い。私は始めて見た句ばかりだ。

こんな句が有った。
 懐に重き聖書や衣替     関学に通っていた頃と思われる。聖書を読んでいたのか。
 人の夏母なき人の母想う   お母さんっ子だった夫のセンチメンタルな一面を見る。
 酒量又親にかく似て年忘れ  夫も舅もお酒は好んだが弱かった。

沢山の俳句誌から転写をするのは大変だったろうと思う。

夫が今、これらの句を見たら何と批評するだろうか。