a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

礼拝メッセージ

「荒野で呼ぶ声」
出エジプト3:1〜12
モーセの生涯
モーセにとって大きな転機が訪れた。
モーセモーセ」と自分の名を呼ぶ神の声が聞こえた。
40年の間、無情、孤独、はかなさの中で、モーセの耳に聞こえて来るのは砂嵐のうなりと羊の鳴き声だけだった。
モーセは財産も所有していない。しゅうとイテロの羊の群れを追っていた。1節
そんなモーセに名を呼んで語りかける神がいた。
人間造った偶像の神には、柏手を打って呼びかけねばならない。人間造った神は人を呼ばれる。
 神である主は、人に呼びかけ彼に仰せられた。
 「あなたは、どこにいるのか」創世記3:9
人を捜して呼ばれる。
いったいどんな意味があるのか。
①神は彼らの痛みを知って居られる。7節
イスラエルの民の苦しみも、モーセの荒野での痛みもすべてご存知であった。

神は全てを見守り私の道を知って居られる。 詩編139:1〜3 
私の内蔵を造り、母の胎の内で私を組み立てられた。あなたの目は胎児の私を見られ・・。詩編13〜16 
②愛して居られるから。
2度もモーセと呼ばれた。
愛している人には名前を呼ぶ。
愛されている実感より、十字架で命を投げ出される程愛して下さっている紛れも無い事実。
目的は何か。9節〜12節
モーセの使命を全うするため。 
 わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。12節
捨てられた赤子が王女に救われ、王子として教育を受けたモーセならパロの前に出ても堂々と渡り合える。
また、荒野での経験は民をエジプトから導き荒野を彷徨うための知識を知っている。
モーセの全てをご存知の上で働かせられる。