お昼前に家に帰ると、勝手口に家族とともに沢山の人が立っていた。
茶の間のラジオから天皇陛下の玉音放送が流れていた。
私はさっぱり何をおっしゃっているのか分らなかったが、終わってから父が「戦争が終わったんや」と教えてくれた。
父は安堵の気持ちだっただろう。
大阪市内のお店も焼け残ったし、家族も全員無事。長男も戦争に取られずに終わった。兄は徴兵逃れに代用教員になったりしていた。
もう空襲がないから安心してゆっくり眠れる。電灯に被せてあった黒い布(灯火管制)も外して煌々と電灯を灯すことが出来る。家中の窓ガラスに貼っていた細い紙(爆風よけ)も取り去れる。
食べるものが少なくても、恐怖の空襲に怯えることが無くなったのは本当に嬉しかった。
登校すると、担任の先生が泣きながら「負けて悔しいわ。銃後の私たちの努力が足らんかったのよ」と仰った。
努力って?と思ったが、先生は「裸足で八幡様にお百度参りをすれば良かった」と仰ったので幼心に思った。そんなんで戦争に勝てた〜?
集団登校で途中の八幡様の前で全員「戦勝祈願」をしていたよ・・・。
その後数日して教科書の墨塗りが始まった。ほとんどのページが墨で真っ黒になった。
先生もようやく正気に戻られたようだった。真面目な教育者が洗脳されるのは容易い。とりわけ若い正義感溢れる女性だから。
戦争中は学校も軍隊もどきで、怖い軍人が一人派遣されていたようだったし、職員室は隊長室。私たちの担任を3年中隊H田隊長と呼ばなくてはならなかった。
優しい美しいH田先生はどこかへ行ってしまっていた。
終戦を迎えて子供達は自由と平和を味わった。職員室は以前のように優しい先生達のいらっしゃる部屋に戻ったのだった。
終わり