午前中は35度になった。
これが私の平熱である。
午後36度5分に上がった。普通はこれが平熱だと思う。ずーっとこれが平熱だった時期があったが、年齢が上がっていつのまにかいつ測っても(クリニックで)35度から上がらなくなってしまった。
だいたい熱を出したことがない(熱を出す体力も無くなったのか?)ので、体温計を使うのも何年ぶりかだった。
ということは(私的には)まだ微熱ということかも・・・?でおとなしくラジオでFM放送でクラッシック音楽を聴いて過ごした。
世間の人は帰省中の車中だったり、買い物に出かけたり、掃除をしたり、窓ガラスを磨いたりしているだろうけど、私は食事の用意をするだけ。
食欲は充分ある。
夏目漱石はお正月は一切しなかったと朝刊で読んだ。
年賀状はもとより、年賀の客が来てもご馳走で持て成したりしなかったようである。
私も漱石さんに見習って今年は何にもなしお正月を迎えようではないかと腹をくくった。
一応年賀状は出したけれど。
自分の家庭を持ってから2度、病院のベッドでお正月を迎えた経験がある。
2年前、圧迫骨折で寝たきりでお正月を病院で迎えた。
年賀状も雑務も全て娘に任せた。
私は掃除もしなけりゃ庭掃除もなし、掛け軸も紅葉の景色のまま新春を迎えたのだった。
46年前はもっと悲惨だった。
娘は夫と鳥かごと共に実家に預けた。両親が健在だったし姉たちに助けてもらえた。
私はお正月どころでは無かったのである。
実家の母は昔気質な人でお正月はこうでないと、と固く守って娘たちも見習って育った。
家の内外は美しく掃き清められ、年始客用の料理の準備やおせち料理は手抜きなし。
元日は座敷で一同揃って(家族も多かった。一番多いときは13人)お祝いをした。
結婚して夫の家のお正月には驚いた。
年末になっても掃除も買い物もなく、映画を見に行ったり、吉本へ漫才を聞きに行く気楽な家風だった。それも株主招待のチケットが期日だという理由で。
大晦日の夕方になってようやく近くの市場に買い出しに行く。最後のたたき売りで安くなっているのを大量に買うのだった。
元日におせち料理を作った。立派な重箱に大量の煮しめを詰めたのを思い出す。
家族揃ってご挨拶・・なんて全く無し。
2日は沢山の客が来た。
そのため朝から大掃除をした。
殆どは夫の友人と義妹の友人たちで気楽な客ばかり。
全て型破りな家風に驚いたり安心したり。
だから、今年の暮れは当家流で賄えば良いのである。
明日お軸を日の出に変えよう。
クリスマスの飾りつけも片付けよう。
そうでなければ1年中クリスマスになり兼ねない。
看病疲れのクルミ。