鼻風邪は治ったけれど、今日も一日中家で過ごした。
今日も「男はつらいよ」。
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安らぎのある生活 (16)
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
聖書が教える苦しみの意味
聖書 イザヤ38:15-20
ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。17
この言葉は敬虔な王ヒゼキヤが病気になって、その病気から回復した時の祈りの言葉である。9
1、病の癒し
ヒゼキヤが病に打たれた時 1、嘆きつつ主の癒しを求め、寿命を15年増し加えられた。5
その感謝の祈りが今日の箇所で、ここから幾つかの事が教えられる。
※苦しみ(この場合は病)は「平安」のためでした、とある。
病の癒しもさる事ながら平安を与えられる事が最終的癒しである。
病にかかった時。病の癒しを祈り求めるべきである。
しかしパウロの肉体の棘の場合にもあるように、神は別の答えを持っておられる場合もあることをわきまえるべきである。
その信仰に立ったとき「苦しみは平安に繋がる」のだという確信に導かれる。
2、苦しみの中を歩むときの知恵
①静かに歩みます。 15
立ち返って静かにすれば、
あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、
あなたがたは力を得る。イザヤ30:15
聖書には「静まる」ことがいかに大切であるか教えている。
静かにすれば「救い」と「力」を得ることが約束されている。
②主を賛美する生活。
私たちの生きている日々の間、
主の宮で琴をかなでよう。20
主に感謝し賛美する生活の祝福→
彼は民と相談し、
主に向かって歌う者たち、
聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。
彼らが武装した者たちの前に出て行って、こう歌うためであった。
「主に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで」
彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、
主は伏兵を設けて、
ユダに攻めてきたアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、
彼らは打ち負かされた。 第2歴代誌20:21、22