明治生まれの母は勿体無がりだったけど、もっと上を行くのは夫の叔母。
先日雛人形の前に座っている写真で紹介したけれど、彼女は明治37年生まれで、私より33歳年上だった。
物を捨てずに大切に、お金は使わない。
月賦(ローン)はだめ。
物はお金が溜まってから買うこと。
それより、甥に買わす(甥である夫はその頃本当にお金がなかった(๑>◡<๑))。
それが彼女のモットーだった。
60歳になってから奈良の飛鳥村に土蔵付きの家を購入して住んだ。
79歳で亡くなるまで、私は毎日モーニングコールをしていた。
用事があったり、体が具合悪い時はすぐ駆けつけた。
私は40代だったから頑張れた。
折角縁側が広くて明るいのに、いつも雨戸は1枚開けたままで締め切っていた。
行ったら一番にするのが雨戸をガラガラと全部開けること、天気の日には布団を干すことだった。
夏は戸を開け放ったら涼しかったけれど、クーラーが要るというので買った。
冷房を付けているのに縁側の戸を開け放っている。
私が閉めようとすると、
「閉めたら息が詰まるで、開けといて」
何という電気の無駄遣い!
冬の暖房も同じことだった。
古い木造の家屋をオイルヒーターで家中温めるのは難しい。
その頃の暖房は石油ストーブが主流だったけれど、危険だからとオイルヒーターを使ってもらった。
あとは大きな火鉢に炭火を入れただけ。
私は寒い中到着したら、まず火鉢に手を翳して温めたものだった。
茶の間と寝室だけが暖かくできたら良いと思っていたけれど。
早く亡くなってしまったのは寒さの所為ではないかと悔やんでいる。
今、楽しんで笑って観ている韓流ドラマ「応答せよ」シリーズ。
「応答せよ1988」は当時の生活様式が興味深い。
韓国はオンドルを使って床が暖かい。
その頃のオンドルの熱源は何かというと、練炭だった。
丸くて小さな穴がたくさん空いている。
下から火で着火して使う。
日本の冬も寒いのに、暖房はお粗末だったなと感じる。