朝から小雨。
イチジクが4個も収穫できた。
冷やして全部私が食べる。
子供の頃、食糧難を見越して父は急いで建てた郊外の家の裏庭にイチジクの木を5本ほど植えた。
夏になると甘く熟れた無花果は美味しかった。
1941年春、父は大阪市内から戦火を恐れて郊外に家を建てて家族全部で疎開した。
周りは全部のどかな田んぼと畑だった。
食料も不自由になるかも知れないと、庭に果物のなる木を植えたのだろう。
父は心配性だったけれど、理にかなった先行き不安に手を打ったと思われる。
案の定、食料は配給制になったし、その配給もわずかになってきた。
一番食料不足だったのは終戦後1年ぐらい。
多くの日本人がこの頃餓死した。
B29が日本中に爆撃を繰り返し、街は焼け野原になり、鉄道も破壊した。
沢山の人間が死んだ。
良くその中で私は生き残ったと思う。
イチジクを食べながら80歳まで生きてきた命を感謝した。
タオルを畳んでおいたらお座布団と間違ったのね。