a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

お父さんの日曜日

先月末に、体調を崩して風邪を引いて熱を出して以来だらけている私の身体。

午前中は家事をせっせとするけれど昼食後は必ず昼寝。

ラテン系になってしまったのかな。

夕方までは読書で過ごし、夕飯を食べたら映画を1本見て一日は終わる。

夏中こんなで良いのかな〜?

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

私のお父さんの日曜日

 

父は殆どの日曜日は家で過ごした。

散髪屋さんに行ったことは有っても、帰りに映画を観に行くというようなことはなかった。

覚えている父は、作業着を着て庭で農作業をしていた。

園芸が趣味だったのだ。

 

太平洋戦争が始まる直前に郊外に家を建て家族全員で疎開をした。

200坪の敷地だったので庭は充分広かった。

食糧難を見越して裏庭は果樹園にして、イチジク、柿、ぐみ、ユスラウメ、夏みかんなどを植えて残りは畑にして野菜を植えていた。

近所の農家の人に作り方を教えてもらったのだろうか。

それとも家の外回りの仕事をしてくれていた小父さん(ジューちゃん)が手伝っていたのか。

戦後の食糧難が終わった後の畑には花を植えて、やはり日曜日は土に親しんで作業をしていた。

母は「お花植えてくれはるのは良いけれど、汚れた服は脱ぎっぱなしやし道具もちゃんと片付けはれへん」と愚痴っていたけれど。

 

父の日曜日は楽しそうだった。

大きな甕に金魚を飼って餌をやったり、庭に出てくる大きなガマガエル(私の手のひらサイズでぶつぶついっぱい付いていて気持ちの悪いものだった)を手に乗せてご飯粒を食べさせていたり。

犬も可愛がって犬用のビスケットを買ってきて食べさせていた。

 

う〜んと・・・猫と父の記憶はない。

猫は常に家で飼っていたけれど、特別可愛がって膝に乗せるとかしなかった。

当時の猫は愛玩動物ではなくて、天井のネズミを獲るという役割が有ったし、充分餌も貰えなかったから、というのも家族はそれぞれ忙しくて猫のことはいつも忘れていた。

お腹がすくと、台所に居る誰彼構わず足にまとわりついてにゃあにゃあなく。

「あれご飯が欲しいの?」と誰かが気づいて、猫用の皿にご飯と鰹節削り(箱になっていて上についているカンナで削ると引き出しに溜まる)で鰹節を削って乗せてお醤油をかけてかき回した「猫まんま」を与える。

猫はくっちゃくっちゃ食べて少し残す。

しばらくしてみると、残ったお皿のご飯はぱりぱりに乾いてお皿にへばりついているのだった。

行儀が悪くて、卓袱台に魚料理の皿を並べる時は誰かが番をしていないとさーっと咥えて逃げたりした。

そんな飼われ方だから、猫は自分で鼠をとったり外で鳥の雛を捕らえて食べたりする必要が有ったのだ。

犬は当然ガードマンとしての役割が有って飼っていたのだった。

今日は脱線してしまった。

つづく