今朝は朝刊が休みなので、朝食後涼しい間に庭掃除をした。
小さな芝刈りカッターで風にそよいでいる母子草や花センブリもなぎ倒して、きれいに刈った。
暑くなってきたので作業はそこそこにして家の中の掃除。
洗面所の掃除、水垢を取る。
自分一人が使う場所だからつい掃除がおろそかになって、よく見ると(よく見なくても)汚いm(_ _)m。
たまに若くて目がふつうに見える客が使うから「汚いな〜」と思っただろう。
しっかり働いて汗を沢山かいたのでシャワーを浴びた。
午後は昼寝。クルミも昼寝。
お父さんは子煩悩 つづき
終戦後の食糧難がひと段落したら、家ですき焼きが時々食べられるようになった。
お肉屋さんにお使いに行って「牛肉400匁下さい」と言って買ってくる。
グラムに換算したら1500グラム。
家族は常に8人ぐらい居たからお肉も沢山要った。
後は糸蒟蒻と葱と麩と菊菜、焼き豆腐。
鍋奉行はもちろん父。
美味しく焼いてくれて「はい、このお肉できているよ」と次々食べさせてくれた。
生卵をくぐらせて食べる。
それはそれは美味しかった。
その頃、父が料亭で豚肉の水炊きを覚えてきた。
大阪では今まで豚肉はあまり食べなかったから、これは子供達に食べさせてやろうと思ったに違いがない。
昆布を敷いた鍋に水を張って、白菜と豚肉と木綿豆腐を入れて炊いたのを引き上げて、大根おろしと葱とお酢とお醤油と七味唐辛子をかけて食べた。
今だったらどういうこともない鍋料理だけれど、何もない戦後は本当に美味しかった。
今も私は豚肉の水炊きが好きで、鍋に入れる野菜も白菜と豆腐だけ。
生椎茸や葱やお菜のあれこれ入れるのは好きじゃない。
父が食べさせてくれた水炊きが一番おいしかったと思える。
時が移って、私が結婚した相手は全く鍋奉行の仕事は出来ない男であった。
新居に彼の友人4、5人を招いた時、私はすき焼きを用意した。
お鍋が熱くなっていても男達は誰も何もしない。
ただ座って見ているだけ・・・。
「ええ〜誰もなんでせえへんの?」
うちの夫は特別で、後の誰かは出来るかと想像していたけれど、皆、揃いも揃って私がお肉を焼くのを待っているのだ。
仕方なく私が皆の分を父仕込みの腕前で美味しく食べさせたのだが。
話は又飛ぶが、今私が仲良くしている高校の同級生達は鍋奉行が多い。
いつもお鍋を食べる時、美味しく食べさせてくれる。
「今入れるからすぐに引き上げや」とか「先にこれを入れて出しを取らなあかん」とか「それまだ入れるの早い」とかうるさい。
彼らと食事する時は言われる通り食べていたら良いから楽。
夫の世代と私の世代のこの差は何だろう。
年齢は6歳違うのだけど、夫の友達はいわゆる良えしのぼんぼんで跡取りとして大事に大きくなった男達が多かった。
母親や使用人が全部手取り足とり構って食べさせたのかな?
私の世代は戦後の食糧難のときに、食べ盛りなのに嫌という程苦渋を舐めてきたから、食べることに貪欲なのだ。食材を選んで美味しく調理し、食事を楽しむことに努力を惜しまない。
鍋奉行が出来ない男は軽蔑される世界なのである。
私の父も幼い頃より貧しく苦労の数々を味わってきたから、子供達と豊かに美味しい物を食べるのを喜びとしていたのだろうと思う。
つづく