R少年の最終 出世すごろく上がり
その時の状況で、止むを得ず転々とお店に奉公したわけだが、多くのお商売人を見てきて、彼は自分に向いている「これはいける」道をようやく見つけた。
幸い兄嫁の実家が金物店をしているので、しばらく手伝わせてもらって手応えがあったので決めた!
大正7年自分で奉公先を探し代々続く老舗の金物問屋「I商店」に雇ってもらった。
主人は難しい旧弊な人だったが(奈良から子どもの頃養子で来た人だった)御寮人(ごりょん)さんに気に入られて、この人は優しくて大事にして下さった。
御寮人さんは美しい人で大きな材木商から嫁入りした。
当時出来たばかりの花嫁学校清水谷女学校の5期生として卒業して、近代的な教育を受けた若い御寮さんと年の差のある厳しい堅苦しい主人は不釣り合いだった、とはR少年の感想。
御寮人さん(すがさん)はR少年にとって永遠のマドンナであったと私は想像する。
後に結婚して娘ができたら御寮人さんのような女性に成って欲しいと思ったのではないだろうか?
父は自分が自立した後もこの夫婦の面倒を最後まで見た。
老舗でも主人が懸命に商売をしないでいると、いつか消えて無くなってしまう。
兄4人と。
前列 R少年 孝二 才一郎
後列 四郎 乗三
いよいよRは自分の店を持つことになった。
大正10年(1921年)3月3日 今から97年前。大阪市南区で建築金物卸商の看板をあげた。20歳になっていた。
彼の座右の銘は「終始一貫」。
最初に志を立てて始めたお商売を、この道一筋に取り組んでいこうと決心した。
当時としては最高の学歴を持った2人の兄の失敗を見ている。
また豊かな家に貰われて学校へ行くことができた兄や弟たち。
養子に行って、唯貧乏から抜け出せただけではなく、他人との暮らしには辛いこともあったことだろう。
長男才一郎が昭和11年に亡くなったので、Rは家督を継いだ。
8人兄弟のうち、2人は夭折。残りの4人は他家へ養子に行ったから私の父だけが家に残っていたのだった。
この後、父は次兄の嫁(ハツ)の妹(榮)に人を介して結婚を申し込む。
大正11年結婚。
お店をもってすぐ所帯を持つって、やることが早くて積極的だなあと我が父ながら感心する。
大正12年5月長女生まれる。
つづく