a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

永遠のみどり

今日、74年目の広島原爆の日

 

夕方、読書をしているとC.Nさんが来た。

(今日からイニシャルで書くことにした。というのもNさんでは誰か判らないし、私にはNさんという友達が沢山いて、後で自分でもこれは誰のことかいな?と判らなくなることもあるから)。

C.Nさんは混声合唱団に長い間一緒に歌ってきた親友。年は81才。

お茶を飲みながらしゃべる。

この話先月も聞いたわ〜というようなことも再々有るけれど、それはお互い良し、ということにして滑舌の訓練が出来る。

 

彼女とは合唱団の演奏会で8月の広島に行ったことがある。

40年位昔のことだ。

 

原民喜の詩「永遠のみどり」を終曲において、他の6人の詩(栗原貞子など)を外山雄三が作曲した混声合唱のための組曲「永遠のみどり」を歌った。

 冷房も無い広島大学で合同練習をしたこと、汗をかきながら思いを込めて声を限りに歌ったことを思い出す。

その時初めて原爆資料館にも行った。

丸木位里丸木俊夫妻の「原爆の図」も息を飲んで見た。

原爆ドームは想像より小さくて、涙が出て止まらなかった。

 

 

あの時のメンバーは殆ど会うことは無いけれど、彼女とはずーっと仲良しだ。

でもそろそろ車を手放す日が近くなって、そうなれば気軽に会いに来てくれることも無くなってしまうかと思うと寂しいのである。

  

「永遠のみどり」原民喜・詩

 

 ヒロシマのデルタに

 若葉うづまけ

 死と焔(ほのお)の記憶に

 よき祈りよ こもれ

 とわのみどりを

 永遠(とわ)のみどりを

 ヒロシマのデルタに

 若葉 したたれ

昼寝もせずに

今日も暑い。

台風が近づいて時々荒っぽい風が吹く。

月曜日なので掃除をする。

まだまだ普段暮らしている部屋の掃除は出来るが、お風呂の掃除だけはちょっと面倒になってきた。ついでに入浴も・・・。

汗をかいたからシャワーを・・・というのもメンドクサイ。

 

読書をして、ミステリー(女警部ヴェラ)、を1本観て、3時になったらNHKの体操番組をみて(見るだけではなくて勿論体操をする)また読書。

昼寝をせずに目を使いすぎたので、くしゃくしゃしてきた。

今夜はもう寝る。

読書感想は明日。

田辺聖子さんのお手紙

朝、9時からの礼拝に出る。

高校の先輩のN川さんが「お見せしたいものがあるから、お会いしたい」と昨夜電話があったのだ。

礼拝後、1階の「まきば」で座って見せていただいたN川さんの宝物は・・・

 

それは大切にしておられる田辺聖子さんからの直筆のお便りと、謹呈された著書であった。

私が田辺聖子さんの愛読者だと知って持ってきて下さったのだ。

 

昨日も、Eテレ田辺聖子さんの追悼番組「こころの時代」の再放送を観たばかりだけど、田辺さんは昭和20年の6月1日、大阪大空襲で燃える大阪市内を樟蔭女専の友達Oさんと必死の思いで走って家路に向かわれた凄い思い出を語られていた。

Oさんは級長さんで思いやりのある方だと言われた。

そのOさんがN川さんの高等女学校時代の親友だったのである。

 

Oさんは惜しくも病で亡くなられて既に20数年が経つのだが、同窓生で編まれた追悼の文集では口々に「美しい人ユーモアのある人」と思い出されている。美少女で学業も優秀だったのだろう。

N川さんは「文藝春秋」に載った田辺さんの記事を見て「あっ、これはオーコやわ」と思って、田辺さんにお手紙を出されたのだそうだ。

「Oさんとおっしゃっているのは私の女学校の時の親友です」と。

2006年のことである。

 

そしたら田辺さんからお返事が来た~!!。

そしてその記事を纏めたご本「田辺写真館が見た“昭和”」が文藝春秋から発行されたのをN川さんに送られてきた。という素敵なお話。


田辺聖子さんは達筆である。

 

このころの女学生は学校で徹底的に「書」を学ばされた。

それと毎日日記を書くというのも課題だった。

だからN川さんは今でも日記を毎日付けておられるそうである。

絵を描くことも大事だった。Oさんの追悼文集の花の挿絵もどれも優しくて素敵だ。

 

あの頃の女学生たちは友達との繋がりも細やかで筆まめで素晴らしい。

メールやラインのやりとりと一味違う。

10歳年下の私が入学した時は既に男女共学になっていたから、こんな優雅な繋がりは無い。

 

明日からの暑い日々ゆっくりこのお借りしている宝物のご本「田辺写真館が見た“昭和”」を読まさせて頂くことにしよう。

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田辺写真館が見た“昭和” (文春文庫)

聖書の動物たち(12)ー山羊(やぎ)

今日も暑くて家に籠ることにする。

何の予定もなし。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

聖書の動物たち(12)ー山羊(やぎ)

 

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

聖書 マタイ25:31-46

 

1、キリストは譬え話で世の終わりの審判のとき、御国を受け継ぐ選別基準を教えられたが、

その譬え話で使われた動物が「羊と山羊」である。

 羊を自分の右に、やぎを左におきます。25:33

 

2、その際「永遠の命」に入れたのは「羊」で譬えられた人々であり、入れなかったのは「やぎ」で譬えられた人々であった。

イスラエルではやぎは羊の牧羊犬のようにもなれる賢い動物で、立派な角もあり羊より強い。

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3、しかしなぜ「やぎ」で譬えられた人々は永遠の命に入れなかったのか。

理由は「羊」で譬えられたひとびとは「小さな者への愛の業」をなし、

 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、

 それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。40

「やぎ」で譬えられる人々は「小さき者への愛を示さなかった」からだと教えられる。

 おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、 

 わたしにしなかったのだ。45

 

4、すると、この話自体は理解しやすいとしても、福音が教える「永遠の命」に預かる条件が愛の業という行いになってしまい、聖書が強調する「信仰による救い」と矛盾することになる。

 人は律法を行うことによってではなく、

 ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、

 私たちもイエス・キリストを信じました。

 律法をおこなうことによってではなく、

 キリストを信じることによって義と認められるためです。  ガラテヤ2:16

これが聖書理解の課題である。

 

5、カトリック教会の解釈

カトリック教会では「善行の功徳によって救いに預かる」(カトリック要理)

としている。しかしこの教えはガラテヤ2:16に矛盾している。

 

6、プロテスタントの一部の解釈

ある人たちは「信仰による救い」とともに「愛の業」をしたかどうかも判断の基準、と教える。

2種類の救いの方法があるというのである。

しかし聖書の基準は「信仰のみの救い」である。

  エペソ2:8ー10

 

7、聖書信仰の立場

この箇所は「愛の業」が「救いの基準」であると教えているのではない。

 世界の基が据えられたときから、

 あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。 34

とあるように「愛の業」が行われる前に「救い」は明白であった。

 正しい人たちは永遠の命に入るのです。46

とあるように、愛の業が救いの基準ではなく、信仰による義(正しさ)を持っているかどうかが永遠の命に入る基準である。

すでに救いに預かり正しいとされた者が地上で驕らず高ぶらず愛の業に励むべきことを教えている。

「小さな者」にした愛の業はキリストにした愛の業である、という光栄なのだから。

暑い日の午後は

疲れと、暑さと、約束を忘れてしまっていたことのショックで寝苦しい夜だった。

朝寝して昼寝もする。

午後映画を1本見た。

「終着駅」

モンゴメリークリフトとジェニファージョーンズが共演のモノクロの古い映画。

結婚前に映画館で観たけれど、すっかり忘れていたから今日は面白く観た。

長いキスシーンで有名な映画だったのは覚えていた。

しかし今日観た限りではそんな長くキスシーンが続いていたようでもなかったけどね。

 

「アンナ・カレリーナ」はバカだったけれど、今日の主人公メアリーは瀬戸際で踏みとどまった。えらい。

終着駅はローマ。

モンゴメリークリフトはジョバンニという素敵なイタリア人。

終着駅 [DVD]

ころっと忘れていた

すっごく暑い日になった。

1時からの練習なので、いつもの巡回バスは間に合わない。

タクシーで行くしかないわ・・・と電話しても繋がらない。

今夜はPLの花火で日常と違うことを忘れていた。

道路の規制があってタクシーは営業してないのだ。

「どうして行くか・・・?」と思案をしていたら、チャイムが鳴ってA木さんが迎えに来てくれた。

「先週迎えに行くって約束してたやんか・・・」

 

ころっと忘れていた´д` ;

これはやばい。

余りの暑さで脳が腐って認知症になりつつあるのかも・・・。

 

1時から4時までみっちり練習。

途中で「ふ〜っ」と気が遠くなりそうだった。

先生はもっとしっかり声を出さないとダメだとおっしゃるけれど。

終わってから役員会議に参加する。

「9月の合唱フェスティバル」と「11月の公民館まつり」の出演について。

帰途はTさんのお嬢さんに家まで送ってもらう。

 

夜、花火あがる。

大きな地響きにクルミは怖がって目を丸くして耳を尖らせて私の膝に登って来た。

「すぐ終わるからね」

キッチンの窓からちらりと花火を見た。

屋上に出て見なくなって10年経つ。

暑い日の過ごし方

今日も家に籠る。

と言っても昼寝ばかりしてたわけではない。

冷蔵庫の掃除をしたり、流しの掃除をしたり、普段時間がなくて出来ない家事をこなした。

月末なので家計簿の締めもした。りっぱな私( ^ ^ )/□

買い物はネットで注文をして届けてもらった。

前日か朝早く注文をすると届けてもらう時間も指定出来るので高齢者には便利だ。

 

後は本を読んで過ごす。

映画も好きだけれど読書の方が好きなのである。

田辺聖子さんが亡くなられたので、本箱の整理をしたら著書が沢山あってその中の「ゆめはるか吉屋信子」を今読んでいる。

子供の頃、吉屋信子の「少女小説」大好きだったので(田辺聖子さんと同じ)買ったが、今読み直しても中々骨太な本で読み応えがある。

時々本を閉じて、家中を歩き回って運動をする。

時々お茶も飲む。

ゆめはるか吉屋信子―秋灯机の上の幾山河 (上)

 

ゆめはるか吉屋信子―秋灯机の上の幾山河〈下〉