朝、9時からの礼拝に出る。
高校の先輩のN川さんが「お見せしたいものがあるから、お会いしたい」と昨夜電話があったのだ。
礼拝後、1階の「まきば」で座って見せていただいたN川さんの宝物は・・・
それは大切にしておられる田辺聖子さんからの直筆のお便りと、謹呈された著書であった。
私が田辺聖子さんの愛読者だと知って持ってきて下さったのだ。
昨日も、Eテレで田辺聖子さんの追悼番組「こころの時代」の再放送を観たばかりだけど、田辺さんは昭和20年の6月1日、大阪大空襲で燃える大阪市内を樟蔭女専の友達Oさんと必死の思いで走って家路に向かわれた凄い思い出を語られていた。
Oさんは級長さんで思いやりのある方だと言われた。
そのOさんがN川さんの高等女学校時代の親友だったのである。
Oさんは惜しくも病で亡くなられて既に20数年が経つのだが、同窓生で編まれた追悼の文集では口々に「美しい人ユーモアのある人」と思い出されている。美少女で学業も優秀だったのだろう。
N川さんは「文藝春秋」に載った田辺さんの記事を見て「あっ、これはオーコやわ」と思って、田辺さんにお手紙を出されたのだそうだ。
「Oさんとおっしゃっているのは私の女学校の時の親友です」と。
2006年のことである。
そしたら田辺さんからお返事が来た~!!。
そしてその記事を纏めたご本「田辺写真館が見た“昭和”」が文藝春秋から発行されたのをN川さんに送られてきた。という素敵なお話。
田辺聖子さんは達筆である。
このころの女学生は学校で徹底的に「書」を学ばされた。
それと毎日日記を書くというのも課題だった。
だからN川さんは今でも日記を毎日付けておられるそうである。
絵を描くことも大事だった。Oさんの追悼文集の花の挿絵もどれも優しくて素敵だ。
あの頃の女学生たちは友達との繋がりも細やかで筆まめで素晴らしい。
メールやラインのやりとりと一味違う。
10歳年下の私が入学した時は既に男女共学になっていたから、こんな優雅な繋がりは無い。
明日からの暑い日々ゆっくりこのお借りしている宝物のご本「田辺写真館が見た“昭和”」を読まさせて頂くことにしよう。