最近友達との会話で、『いかに自分がぼけたか自慢』というのが有る。2階に用が有って上がったのは良いが、何で2階に上がって来たか忘れてしまう、なんてのは序の口で自慢にはならない。コーラスの練習が終わって靴入れのところでしゃべっていて、靴に履き替えずにスリッパでとことこ帰ろうとするYさん。
デパ地下でコロッケを買って、おつりを貰って品物を貰わずに帰ってしまったKちゃん。電車の中で思い出したのだ。
わが夫のように、タクシーやバスや医者の待ち合いにしょっちゅう帽子や傘を忘れてくる人もある。
わが娘も子供の頃から忘れ物の大将だった。お弁当や体操服を忘れたのでこっそり教室に届けたりしたものだが、今も余り変わっていないようなのだ。
これはボケとは別問題。
忘れ物といえば、松江に旅行したとき、乗り換えた電車が発車するのを待っていたら、車掌さんが来て「先ほどの電車にバックをお忘れの方はいらっしゃいませんか?」と言ったので皆で「アホな人やな」と笑ってたら、旅行のリーダーIさんのだった。そのバックには皆の切符が入っていたのだ。
探し物の自慢というのも有る。出掛けようとして鍵が見つからない。焦って、あわてて余計パニックになる。財布が見つからない、楽譜が揃わない、眼鏡は?落ち着いてゆっくり探したら必ず有るのに気がイライラしていると目に入らないのだ。皆がそれぞれにしょうむない自慢をしていると、Mさんはのんびりと、「何でそんなに急ぐの?私は慌てて見つかれへんと言う事は無いわ」と言った。彼女はいつも落ち着いている。でも、彼女は遅刻の常習犯なのだ。
どっちが良いか、ばたばたと慌てて出掛けて遅刻しないのが良いか、それともゆったりマイペースでいつも遅刻が良いか。
今日観た映画『ある子供』。監督製作はベルギーのダルデンヌ兄弟。
ブリュノとソニアは若いカップル。ブリュノは20才、人生の始めで間違った生き方をしてしまった。泥棒をして生きていたのである。ソニアは18才、男の子を産む。ブリュノは金に困って赤ん坊を売り払ってしまう。
赤ちゃんもかっ払った品物も彼には同じ物としか認識出来なかったのである。
ドキュメントタッチの自然な描き方で、はらはらする物語の進展なのだ。赤ちゃんが泣かず大人しい静かなのが余計痛々しかった。