a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

幼稚園時代の受難

今日こそ幼稚園時代の苦難を書こう。
昨日一番チビだ。と言ったけど、女の子と男の子が背の順番に並んで手を繋ぐ。当然私は先頭で、男の子の先頭がチビで嫌なヤツだった。私はずっと、「ハリガネ」と言う名前だと思っていたが、多分イメージが有刺鉄線のようだったから、そう思い込んでいただけかも知れない。手を繋ぐときゅっとつねるのである。痛いのなんの。しかも憎らしいまん丸い目をして。陰湿だ。毎日だから堪らない。私は先生に「センセこの子つねりやるねん。」の言葉が言えない。家で母に訴えて先生に伝わるというまだろっこしさ。
本当の一番チビの女の子が来た日は私は助かる。ターゲットはその子になるのだ。それがイヤでその子は幼稚園を休んでばかりしたのかも知れない。
駅を降りて家までの間にも、困難が待ち受けていた。
誰かが「ヨーチエン!」といって叩くのである。昨日も言った様に私の村には幼稚園が無い。
セーラー帽をかぶって紺色の制服にフリルのついた真っ白なエプロンと言う愛らしい姿。村では目立って、珍しいやらうらやましいやら複雑な気持ちだったのだろう。
この子らは私が小学校に通い出しても、出会うとやっぱり「ヨーチエン!」と叫んだのである。今なら「もうヨーチエンじゃありませんよーだ。」とか言い返すのだけど。
あと家まで50メートル、という所でも気を許せない。近所の悪ガキが突然出て来てぶん殴る。これも幼稚園に通うものへのやっかみの表現なのだ。迷惑なのは可憐なわたし。
かくなる苦難の日を耐え抜いて幼稚園に通ったのだった。
ところで、昨日山口県に住む妹から電話が有って私のブログを読んで懐かしくて泣いた。と言った。
最近あの家は壊されて跡形も無くなったのだが、妹はそれが悔しくて悲しいのだ。壊す前にもう一度この目で見たかったのに。と怒っている。
黙って断りもせずに潰してしまうのはあんまりやわ。と怒っている。
結婚も遅かったし末娘だったから一番長く住んだので、愛着も有り、しかも遠く離れて住んで居るので望郷の念も人一倍強いだろうし、やるせない気持ちは良く解る。私でさえ胸の奥の空洞をまだ埋められないのだから。
「**ねえちゃんは何でもよう覚えてるから、もっと昔のことを書いて。」と言った。
という訳で、苦難時代に平行して思い出話のあれこれも書くつもりだから、cheshirenekoちゃん我慢して読んでね。