a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

夫の誕生日

a-doll2007-04-24

夫は今朝熱も無いし、すごく元気になっていた。
娘が電話をかけて来た。「お父さん誕生日おめでとう。」と言っている。
夫の風邪騒動で2人ともすっかり忘れてしまっていた。娘からプレゼント(レッドソックスのダイスケTシャツ)とカードも届いた。
タクシーを呼んで病院に行く。
泌尿器科の今西先生が、心配して「どうする?延期しようか?」とおっしゃったが、熱も無いし元気になったので予定通り26日に手術を受ける事にし、明日入院することになった。
昼は病院の近くのレストランで握りセットをぺろっと平らげていたので、大丈夫だ。
私の方がほっとして、帰宅したら頭痛がしてきたので寝る。
さて、お約束の“苦難の始まり”だが、また脱線しないうちに今日はさっさと本題に入ることにする。
引っ越し先の村には幼稚園と言うものがなく、近鉄電車の3つ先の駅の村に有る小学校は、師範学校(今の教育大学)の第2附属で、良い先生が居てレベルが高い事を母は聞いて来た。そこには隣接して幼稚園が有り、そこを卒園したら、その村の子でなくても、小学校に通えることも解ったのだ。
母は私を連れて幼稚園に見学に行った。丁度お弁当の時間で、♪良く噛めよ食べ物を〜噛めば噛む程強くなる〜(幼稚園の歌としては凄い歌詞だ)母様作ったこのお弁当〜いただくみ恵み神様ありがとう〜♪と歌った後『イタダキマス。』と声を張り上げ一斉においしそうにお弁当を食べ出した。
母が「ここの幼稚園にかよう?」と聞いたので、思わず「ウン。」と頷いた。
単に、お弁当が羨ましかっただけなのだけど。
そして、桜の花びらの舞う4月、入園式を迎えたのだ。
家から駅まで700メートルくらいか。駅のプラットホームで待機していると電車が来て先生(ふじの先生)が乗っていらっしゃる。電車で通うのは20人位だった。駅から幼稚園まで又7〜800メートル程。
私は5才になっていたけど、発育不良で小さくて細くて、髪の毛も細くて赤くて少なくて“蚊トンボ”みたいな子だった。静脈が浮き出た青い顔をして、川沿いの道をひょこひょこ歩いている姿は、可哀想で胸がきゅんとなったものだと、後年一番上の姉が言っていた。
両親や兄妹の庇護の元を離れて、たった1人で電車に乗って毎日通うのは本当に不安で一杯だった。
でも幼稚園は楽しかった。私は年長組のなか2番目にチビだった。1番チビの子は殆ど欠席で事実上いつも1番前だった。折り紙やクレヨンで絵を描くのはか〜んたん。お遊戯も歌も大好きだった。
でも、嫌なことも有ったのだ。続きは明日ね。