a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ネコのこと

実家には昔から途絶えること無くネコがいた。殆どが雌ネコでいつも1匹だけ飼っていた。
玄関の横の廊下の突き当たりに、小さい窓が開いていて防犯用格子が付いていたが、いつも少しだけ開けてあって、自由に出入りしていた。
私達が幼い頃、ネコの名前はいつも『ミーコ』で、代々受け継がれていた。
私達が少女になってからは『チロ』とか『マギー』って名前も付けたけど、変わった名をつけるとどうも早死にしたようだった。
ネコには現代のような愛玩用だけではなく、ちゃんとした使命が有ったから(勿論天井に住む鼠退治)ネコは防犯用の犬と共に必要とされていたのだ。
飼っていたネコが死ぬと、新しいネコの子をどこかで貰って来る。いつも懇意にしている獣医さんが紹介して下さる。妹と貰いに行くと、炬燵の中から猫の子がぞろぞろ出て来て、その中からかわいい子をみつくろって貰って来るのだった。
小学校5年生で仲よくなったYさんで貰ったことも有る。
Yさんのお母さんは、歌人で作家。私が母から言付かった鰹節1本を持って貰いに行くと「このネコちゃんは美しくてお利口な子よ」と褒めちぎって下さったのだ。
自慢するだけ有ってこのネコは素晴らしかった。ミーコと名付けたが、狩猟が得意で鼠だけでなく、トカゲや鳥のヒナも獲って来た。ある日、ミーコが庭に出ると百舌鳥が襲いかかって来た。前日、ミーコはモズのヒナを食べたのだった。しばらくは親鳥のリベンジが恐ろしくミーコは外に出られなかったのである。
ミーコは歩く姿もエレガント。背筋を伸ばし長いしっぽもしゃんと立てて、細い足をモデルのように歩むのである。Yさんのお母さんが言ったように素晴らしいネコだった。
雌ネコを飼うと当然お産もした。
ネコのお産は大層で、ぎゃーぎゃー泣きわめく。2階の押し入れの中でお産をしたのだがいつも立ち会わされた。(その点、犬のお産は軽い。縁の下でクンクン泣き声が聞こえて、いつのまにか子犬が産まれている。)産まれてすぐは眼も開いていない子ネコが、日に日に成長するのを見るのは楽しかった。
そして1番可愛くなったときにお別れの日がやってくる。獣医の先生が連れて行ってしまうのだ。親ネコに気付かないように連れて行ってもらうのは大変。居なくなったと解ったら、泣きわめいて探しまわる。そして私達も悲しくなって一緒に泣くのだった。つづく。