年に数回、不眠症の持病が出る。
昨夜がそうだった。楽譜を見ながら暗譜の練習をしているうちに眠ってしまったのに、夜中にぱっちり目覚めてしまった。そうなると2時間は眠れない。
仕方が無いので本を読み始めたが、眼が疲れるので止めにしてアルバムを取り出して眺めた。
子供の頃のアルバムである。
生まれて始めての夏、丸坊主に髪を刈られた赤ちゃんの私が、シャツイチ(夏の縮みの肌着姿)の父に抱っこされている。私は5番目に産まれた子だし父が37才の時の子だから、父は子供には飽きてしまってる筈なのに、抱っこして写真を撮っている。
父は愛情の深い人だった。
眠れぬまま父の事をあれこれ思い出して居ると、涙が出た。
父は苦労人で、幼い頃から苦難の日々を送って来たから、人情の機微に長けた優しい人だった。
父が亡くなるまで会長をしていた会社のサイトを開けると、中に父が書いたエッセイ『私の苦闘時代』が載っている。
父は筆まめであった。このエッセイも社報に連載していたものだが、多忙な中を日記も毎日欠かさず続けて書いていた。私はその1冊を貰って大切に保管してあるが、書くことの好きなのは遺伝でもあるかもしれない。
父のエッセイの冒頭を抜粋してみた。
「私は明治三十二年六月一日、金沢市上柿木畠十六番地で、西南の役に従軍したという古強者を父として、呱々の声をあげた。八人兄弟のなかの六男であった。生まれた家は土塀に囲まれた門構への大きな家、加賀百万石前田家に先祖代々仕えた武士の家柄である。
父は青年時代、江戸に出て、今の士官学校の前身に入って軍人になったものの、故郷の墳墓を捨てて他郷に出る事を親族に反対されて帰国し、金沢税務監督局に奉職していた。今でもその当時の日記帳が私の家にある。」
これを読むと私の祖父は日記を残しているのである。仏壇の引き出しに仕舞ってあったのを覚えている。『西南の役従軍記』という和紙を綴った毛筆の記録だったが、読んだことはない。
今は多分兄が保管している筈である。
毎日、まいにちブログを書いている私。
これはきっと父方の遺伝に他ならない。祖父に較べれば、また父に較べても、平和な時代に育って、日々他愛のないことを書き連ねているが、良しとしよう。
父も祖父も笑いながら「よう続けて書いているな。」と褒めて下さっているかも知れない。