a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「幸福の鍵」

使徒3:1〜10
ここは、イエス様の弟子ペテロが、施しを求めていた足萎えの人に奇蹟を行った話。

旧約聖書に、ヨラムという王様が死ぬ時に「誰からも愛されず世を去った」と記されている。
全ての物で満たされた生涯だと思われるのに、彼は幸せではなかった。

幸せになる鍵とは何か。
1、無い物を悔やまないで、あるものに感謝をする。
人間は蓄えたもの、大事なものを失うことに弱い。
五体不満足(英訳ではNo one is perfect))の乙武さんや、レーナマリアさんのように、ハンディが有っても幸せな人生を送っている人も居る。レーナマリアさんは「ハンディが好き」と云っている。
2、受ける、でなく与える生き方をする。
2〜5節には足の悪い男の貰う人生そのものが書かれている。
反対に与えることは愛である。
ここに1997年に亡くなった対照的な二人の女性の生き方が有る。
1人はイギリスのダイアナ妃。愛に飢えた少女期を過ごし、夫にも愛されなかった。愛されたいのに愛されない人生だった。
もう1人はマザーテレサ。神に愛され、多くの人に愛を与えた人である。
3、尽きない無限の力を知る。
金と地位を得ると、ある種の満足感、安心感、達成感がえられる。
しかし、最高の栄誉を得た豊臣秀吉の辞世の句は「露と落ち 露に消えにし我が身かな 浪花のことは夢のまた夢」である。
何と空しい人生ではないか。
永遠の物を見いださない限り心は満たされないのに、この世の一時的な物では満たされないのは当たり前である。
 ペテロは、「金銀は私ににはない。しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエスキリストの名によって、歩きなさい。」と云った。6節