a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「ひとり子さえ」

日曜礼拝メッセージより。
創世記22:1〜14
神はアブラハムに試練をお与えになった。
 神は仰せられた。
 「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、
 モリヤの地に生きなさい。
 そしてわたしがあなたに示す一つの山で、
 全焼のいけにえとして
 イサクをわたしにささげないさい。」2節
この箇所は、映画、絵画、小説などに題材として昔から多く取り上げられている重要な場面である。
神はなぜこのように厳しい試練を、アブラハムにお与えになったか。

2つの意味がある。
1、私たち人間は裸で生まれ、裸で帰る。地上で得たものは全て神が与えて下さったものである。
それがいつの間にか我がものとなって、執着心が起こる。
それに捕われて自由が無くなっている。
神が第一では無く、下さったものを第一に思ってしまう。
2、人生の矛盾をどう捉えるか。
アブラハムにとってイサクは、長い間待ってようやく神が与えて下さったひとり子である。
なのに殺して捧げよとはどう言うことか。イサクを通して子孫を与えると約束を与えられていたのに。
しかしアブラハムは、自分ではなく神が正しいと信じて神に従った。ヘブル11:17〜19
 アブラハムは祭壇を築き薪を並べ、イサクを縛り薪の上に置いた。
 刀を取って自分の子をほふろうとした。 9、10節
 その時、主のみ使いが来て「その子にあなたの手を下してはならない。」
 と仰せになった。11、12節
 アブラハムが目を上げて見ると、一頭の雄羊がいた。
 アブラハムは自分の子供の代わりに、雄羊をいけにえとして捧げた。13節
 その場所をアドナイ・イルエと名づけた。
 今日でも「主の山には備えがある」と言い伝えられている。14節
神に従う模範がアブラハムである。

モリヤの地は1000年後にエルサレムの神殿が建ち、2000年後に神がひとり子イエスを、私たちのためにほふらせた場所である。

私はこの箇所は、何かしっくり来ない矛盾を感じて居たのだが、今日のメッセージを聞いて、ようやく納得出来た。

レンブラント「アブラハムの犠牲」

アンドレア・デルサルト

カラバッジョ

カラバッジョ

ドメニキーノ

LA HIRE,Laurent de

ミケランジェロ