a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「延命に勝るもの」

日曜礼拝メッセージより
ヨハネ11:17〜44
先週の続き。
ラザロは死んで墓に入れられた。イエスは石を取りのけさせ、大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれると死んでいたラザロが出て来た。という場面である。
ここから教えられる真理は。
1、キリストの愛。
マルタ、マリア姉妹の悲しみ、無力に対する同情心。
 イエスは涙を流された。35節
原語ではイエスは泣かれた、とたった2つの言葉で表現され、聖書の中で最も短くて深い一節である。
愛する人の死というのは、自分も失ってしまう程悲しさ空しさを感じる。
キリストは共感し、一緒に泣き涙を流すお方なのである。
ヘブル4:15〜16
2、キリストの力。
死を覆す程の力である。
 イエスは言われた。
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。
 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。25節
何と言う奇蹟だろうか。
イエスの力はラザロだけではなく、信じるもの全てに希望を与えてくれる力である。
この箇所は一つの出来事として淡々と語られている。
誰もが年を取ると先に有るのは死のみと思う。しかし聖書は年齢と共に希望に溢れると語っている。
6:39〜40
3、キリストの願い。
マルタは信仰の告白をしている。
 「主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」27節
なのに、マルタはイエスが墓の石を取りのけなさい。と言われたのに対し、
「主よ。もうくさくなっておりましょう。4日になりますから。」39節
と信じていない。
現実には信仰が生きていない、という矛盾がある。
み言葉を生活の中で適用しなければいけない。
祈っていても信じていないということはないだろうか。それは本当の祈りには遠い。