a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

婦人聖書の集いより

こんなときどうする?シリーズ
「自分が不幸と思うとき」
ローマ8:28
 神を愛する人々、
 すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
 神がすべてのことを働かせて益として下さることを、
 私たちは知っています。
どんな人も幸せに生きることが出来る。その根拠は全てを益として下さる(幸せにして下さる)神がおられるから。
この世の考え方は、二元論
すなわち善と悪、幸せな星のもと(家庭)に生まれたか不幸せな星に生まれたか、ルックスの善し悪し、才能があるかないか、頭が良い悪い、等など。
兎角悪い方を考えるので幸せではない。
聖書の考えは、一元論。最終は益である。
荒野でマナを食べさせられ、あなたを苦しめ、試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。申命記8:16
内にある物を篩(ふる)われた。
ここから言えることは、
1、神の愛は(ご計画は)先天的要素を越える。
ベートーヴェンの誕生のいきさつ。父はアル中、母は結核、兄弟は結核で早世。
2、後天的要素も越える。
ヘレンケラーのサリヴァン先生。子供の頃統合失調症も経験した。

必要なこと。
1、自分の不幸を何かの所為にするのは止めよ。エゼキエル18:1〜4
バビロン捕囚の時代、『父が酸いぶどうを食べたので、子供の歯が浮く』親の因果が子に報うの考え(ことわざ)があった。2節
イスラエルでもう決して用いないようになる。3節
人は100%自分の責任で生きる。4節
2、人と比較しないで自分を生きろ。ヨハネ21:21〜22
ペテロはヨハネを気にした。21節
「私は私の生き方で良い」神は私を「良し」とされた。
3、災いも神のみ業と信じて生きよ。ヨハネ9:1〜3
生まれつきの盲人をについてイエスは答えられた。
 この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
 神のわざがこの人に現れるためです。


午後「聖書を読む会」
F田さんが初参加で、ルカ4〜7章まで輪読する。
一人で黙読するより声に出して読むと、違う風景がはっきり見えて来る。
イエスさまの優しさに触れて感動出来る。
外は冷たい風が吹いているが、窓から差し込む太陽は春。穏やかで幸せな午後の時が流れた。
帰路、F田さんの車でM永さんの新居まで行く。しゃれた表札と郵便受け、素敵なお家である。