a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

十字架上の第四の言葉

婦人の集会を休んだらMちゃんが資料をとっておいてくれた。Mちゃんいつもありがとう。

第四の言葉
 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46
七つの言葉の中で最も誤解されやすい言葉である。この機会に正しく理解しておきたい。


1、誤解

十字架は実に残酷な刑であり、その苦しみは想像を超えている。

さすがのイエス様も苦しみのあまり父なる神から見捨てられたと思われ、絶叫されたという解釈である。

これは神の御子ではなく人間として理解することから生じている。

キリストは正く生きて来られたのに報われず、最後には罪人として刑罰をを受け入れることが出来ないための批判がこの叫びである、と理解する。

しかしこれが間違いなのは、十字架は予期せぬことでなくキリストは初めからこの受難を知っておられたということである。




2、正しい解釈

①キリストこそ旧約聖書が預言しているメシヤであることを示す。

キリストを単に人間としてしか理解しない人は、この叫びの言葉を「神に裏切られた絶叫」としてしか理解しないが、実はこの第四の言葉は、

 わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。

 遠く離れて私をお救いにならないのですか。

 私のうめきのことばにも。 詩篇22:1

の言葉通りである。

(人は苦しみの絶頂期に一言一句間違わずに祈れる冷静さはないだろう)

この時キリストは詩篇22編に預言されている事柄がご自分の身に成就されていることをご覧になり、ご自分が旧約聖書に預言されたメシヤであることを示されたのである。




②キリストは私たちに代わって罪の故に神に見捨てられた事を示す。

第2コリント5:21に「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。」とある。つまり十字架は罪のないキリストが私たちに代わって神から裁きを受けてくださった事を示している。

キリストは私たちの罪からの救いをもたらすために私たちに代わって神から見捨てられて下さった。




③人生の矛盾の解決はキリストの中にある事を示す。

人生には矛盾や理不尽なことが多い。

なぜ正しい人が禍を受けるのか?

これは古今東西の人生の謎である。そんな時、最大の矛盾を味わわれ、救いの道を開かれたキリストを知る事こそ真の慰めと解決を知る道である。